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| 聴 法 録 317 |
聴法録317-1
人間はどこえ行くのかと言うことを、人々は知ることは出来ない。最も高い智慧は、彼方がどこえ行くべきかと言うことを知ることの中に得られる。それは即ち、神に向かって、高い完成に向かって歩み行くべきことを知ることである。
まことに生活に導く道は細い。少数の者だけがそれを発見する。何故ならその道はその人々自身の中にあるからだ。そして自分の道を探しているものも少数である。多くの者は他の道を見つけているので、自分の道を探そうとはしないのだ。
人間には、ただ三つの区別があるだけだ。一つは神を見出しそして神に奉仕する人々である。この人々は知恵ありそして幸福である。他の一つは神を見出すことが出来ずそして見出そうともしない人々である。この人々は智慧もないし幸福でもない。第三は神を見出すことは出来ないが、見出そうとしている人々だ。この人々は、智慧はあるかもしれないが未だ幸福ではない。
真理に対する探索が始まる所に於いて、いつでも人生が始まるのだ。真理に対する探索が中断するや否や、人生も途絶えてしまう。
神に於いてあらゆるものを見、自らの人生を理想に向かっての行動とし、感謝と統一と親切と勇気の中に生きてゆくことーここにマアカス・オーレリアスの驚くべき観察点があるのだ。智に対して悪口を言い、智がなくてもやってゆけると考えている人は、真実の教として最悪である。とにかく私は、地上における神の王国だけに満足するのみでなく、墓の彼方に於いても神の王国を認識する智を尊ぶ。虚偽の宗教生活の特徴は、人生を次の時まで打ち切ることであり、まことの智者と有徳の人とを区別することである。
智を求めつつある人は、知的だと名づけることが出来る。しかしもしその人が、智を見出し得たと考えたら、その人は智なき人である。
私達が占めている場所が大切なのではない。私達が動きつつある方向なのだ。
俗世間一般の目的が、彼方の行為を限定すべきではない。貴方の人生に与えられたところのそしてすべての人々の人生に与えられたと同一の使命が貴方の行為を限定すべきである。
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