聴  法  録  319

聴法録319-1   大事
人を愛することは、精神の真実のそして動かしがたい幸福をもたらす。何故なら、愛は人間を、他人とそして神とに結合せしめるものであるから。

一人の人間の精神的な向上を妨害することは、彼自身を除いて誰にも出来ることではないのだ。身体が弱くともあるいは特別な学問がなかっても、精神上の本質が向上してゆくことに対して妨害となるものではない。何故なら、すべてそれ等のものは、精神の中に増加してゆく愛によって征服されてしまうものであるから。もしこれ等のものが、ある人間の場合には妨害となったことがあったら、それはただその人に愛が少なかったからでであるにすぎない。

智慧深き人は、自分に何かの利益があるから愛するのではない。愛することの中に幸福を感じるから愛するのである。

私に後悔したことを話すのはやめてほしい。悲しみ嘆いたところで、何になるか。虚偽は言う、後悔せよと。しかし真実は言う、ただ愛せよと、神から離れたものは、生きていない者である。一切の記憶を捨て去れよ。私達は自分の進みゆく途上で、伝統のために妨害される、過ぎ去ったことについて語るな。愛の木陰に於いて生きよ。そして全て残り物を過ぎいかしめよ。

人々がある聖者に聞いた。「学問とは何でありますか」その聖者は言った「人間を知ることである」人々はそこで聞いた。「道徳とはどういう事でありますか」その聖者は言った。
「人を愛することである」

幸福という点から考えると、人生の問題は不安定なってくる。何故なら、私達の最も高い努力は私達が幸福であることを妨げるからである。義務という点から考えても、矢張り困難がある。何故なら、義務を果たすことは平和を与えてくれるが、幸福を与えてくれないからである。ただ、神の清き愛とそして神に対する信仰に合致することが、この困難を消失せしめる。何故なら、もし犠牲が喜びとなったら、即ち絶えず成長してゆくところの破壊すべからざる喜びとなったら、心は満足の保証を得ることが出来るからである。果てしない栄養の保証をさえ得ることが出来るからである。

愛せよ。貴方に苦痛を与えたものを愛せよ。貴方が非難しそして憎んでいたものを愛せよ。貴方に自分の心の中を隠して見せないものを愛せよ。すべてのものを愛せよ。その時、彼方は清らかな流れの水底を見るように、その人の中に存在する清き愛の本性を見るであろう。そしてその時、彼方はその人をその人を許す必要もないしまた許す理由もなくなるであろう。そしてあなたはただ自分自身をのみ許すことが必要になるであろう。その人の中にも神が存在していたのにその神を愛しなかったことに対して、そして愛しなかったために神を見ることが出来なかったことに対してである。

私は、時としてこの世界を変革する所の力を自分の中に意識している。その力は押しも衝きもしないが、私がそれが徐々にではあるがいかに抵抗し難い勢いを以って私を引きずってゆくかと言うこと感じている。そして私は、何かが私を私を引っ張っているのを見る。そこで私はその人々にひきつけられる。その人々も私にひきつけられる。そして私たちは新しい結合に向かっての進行を意識するのである。もし磁鉄の接点の中心にいたら、貴方自身も磁鉄になるであろう。そして私達のすべてが、自分の使命と力を意識する程度が大きくなればなるほど、ますます明瞭に新しい世界が形造られてくるものなのだ。私達は神からそれから直接に受け取りつつ神の法則の立法者となるのだ。そして人間の作った法則は、私達の前で衰えきってしまうのである。そして私は、自分の中にあったその力に聞く。
「お前は何物であるか」と。するとその力は答える。「私は、愛である。天国の主である。そして地上の主にもなりたいと思うのである。私は、天国に於いても最も力強いものである。そして今ここに未来の王国をつくるためにやって来たのだ」とー

自分の一生をかけて、自分の子供ーー自分にとって唯一のものである子供を育て保護してゆく母のように、すべての人が自分の内にある所の、生きとし生ける者に対する親愛の感情を育て保護するようにならねばならぬ。

まことに神を愛するものは、神に対して自分を愛してくれるようにとは仕向けはしないであろう。

愛が与える所の勇気、平和、歓喜は、非常に偉大である。愛「人々の間の愛」によって得られる世界の外面的な幸福は、即ち愛の内面的な幸福を知っている人にとっては気がつかないものである。それ等のものは、それ程偉大であるのだ。