聴  法  録  320

聴法録320-1  大事である
人間が従うべきそしてそのために人間に自由を与えてくれる所の法則を知る為には、肉体的な生活から精神的な生活へ向上することが必要である。

私を、この地上に送り寄越したものはまことである。私は、彼から聞いたことを地上に伝えるのだ。彼が天なる父について語ったことを、理解しなかった。そこで基督は人々に言ったのである「人の子が褒め称えられるときは、貴方が、私が自分の思う事を言うのではなく、天なる父が自分に教えて下さったことを話しているのだと言うことを知る時であろう」

基督は、まことの預言者であった。彼は、人間の魂の中の秘密を見たのである。彼は、人間の偉大さを見たのである。彼は、貴方やそして私の中にも存在するものを信じたのである。彼は、人間の姿を装った神を見たのである。そして偉大なる法悦を感じつつ彼は言ったのである。
「私は神の子である。神は私を通して行為し、そして私を通して語る。その証拠を見たいと思へばーー貴方が今私が考えそして感じていると同じように考えそして感じるようになった時に、貴方自身を省みて見よ」
人間の心の中に住んでいる所のその絶対的な法則を知り、基督はこの法則を他の如何なるものにも従属せしめなかった。彼は、神自身の中に於いてこの法則を認めたのである。

私と神とは、一つであるーーと師は言った。――しかしもし私の肉体を以って神の形と考えるなら、それは間違っている。もし他の存在に比べて何か特別な、私の精神的な本質を神と考えても、それは間違っている。それこそまことに神と一つである所の、真実の私の「我」にまで浸透することが出来た時にのみ、貴方は間違っていないのである。そしてこの私の「我」を見ることの出来る道は、唯一つである。それは貴方方の各自の中に自分の「我」を見ることである。その「我」こそ、私の「我」とそして神とも一つである所のものなのだ。貴方がこれを為したとき、即ち自分の中に於いて人間を高めた時、貴方は、自分の中に於いて高めた人間とそしてさらに以前に自分の中に於いて高めた「我」との間に、如何なる本質的な相違も存在しないと言うこと見るであろう。貴方の本性に深く沈潜せよ。そこで貴方は、神に出逢いそして神と一つになるであろう。それは「我」が出逢いそして神と一つになるであろう。それは「我」が出逢いそして「我」が一つになった神である。
私達が、各々他人とは違った、特殊の人間であるように見えるのは、ただそのように見えるだけのことであるのだ。それは、たとえば噴火山が地球上の表面ではお互いに遠く離れ離れになっていて、各々自分だけの特別な火を吐いているように見えるのと同じである。


この世の短い期間を、永遠の人生の法則に従って生きることが必要なのだ。

人間の精神の本質は、基督教的である。基督教的精神は、常に人々によって、長い間忘れていたり或は急に思い出したりするというような風に扱われている。基督教的精神は、人間を高いところに登らさせるものである。そしてそこに於いて、智慧深き法則に従った喜びの世界が人間の前に開けてくるのである。まことの基督教的を知った人によって経験された感情は、暗いそして息苦しい塔の中に幽閉されている人が、塔の上の高い見晴らしのいい場所へあがって、今まで見たこともないような美しい世界を見た時に経験する感情と似ている。