聴  法  録  327

聴法録327-1
私達を最も強くつかむ欲望は、淫乱な方面の欲望であるこの方面の欲望は、決して満足させられることがない。そして満足すればするほど、ますます又大きくなる。

奴隷がいかに生きることを欲するかを見よ。何よりも先に、彼は縄めから解放されることを欲する。彼は、それなくしては自由にも幸福にもなり得ないと考える。彼は言う。「もし私の縄めが解かれたら、私は、直ちに十分な幸福を得るであろう。私は、主人の機嫌を取ったり用事をしたりする必要がなくなり、主人と自分と対等のものとして話し合い、主人の許しを得なくとも、どこえでも勝手に行けるようになる」しかし縄めから解放されるや否や、彼は誰か御機嫌を取る人を探し求めるだろう。主人がもう自分を養ってくれないために、その人のところで食事をさせてもらうためにである。そういう人を探すために、彼はあらゆる卑劣なことを平気でするだろう。そして彼はただ、以前よりもさらに苦しい奴隷になってしまったことが自分でもわかるような住居と食事とを、やっと見つけ出すことになるだろう。
もしこういう人間が金持ちになると、直ぐにどこかの淫蕩的な女を恋人だと言って連れてきたりするのだ。そして彼は又、苦しみ、泣き始める、何か特別に困難ことが起きると、彼は以前の奴隷の頃の事を思い出して云うのだ。
「あの主人に仕えていたときは悪くなかったよ。自分で気使いしないでも、飯を食わしてくれたし靴も履かせてくれたし衣服も着せてくれたものだった。病気になると、何かと世話もやいてくれた。勤めだって楽だった。しかし今は何という不幸なことになってしまったんだろう。あの時は自分の主人と云えば、一人しかいなかったが、今じゃいったい何人いるだろう。金持ちになろうと思えば、一体何人の人間の機嫌を取らなければならないんだろう」と。
しかしこの奴隷は、自悟の道に入ったのではない。彼は金持ちになりたいと思い、その為にはあらゆる困難に耐えた。が、欲していたものを手にしてしまうと、再び自分がいろいろな不愉快な気使の中に漂っていたにすぎないと考えだす。
とに角、彼には智がないのだ。彼は、もし自分が偉大な将軍になったら、すべての不幸は終わりを告げ、自分は世界の寵児になるだろうと考える。そして彼は、行進から始める。彼は、あらゆる損害に耐え、苦役人のように苦しみ、二度も三度も行進の中間入りを頼み込むのだ。もし彼が自分のあらゆる不幸から自由になりたいと思えば、自省する所がなければならぬ。
何が、人生のまことの幸福であるかと言うことを知らねばならぬ。自分の人生の一歩づつを、自分の心の中にいつでも形跡を認め得る所の真と善との法則に従って歩むことを知らねばならぬ。そして後、彼はまことの自由を得るであろう。

無知なるものの情欲は絶えず、大きくなってゆく。ひるがほの蔓のように絶えず伸びてゆく。そして彼は、果実を求めて森林の中の樹木から樹木え飛び移っていく猿のように、生活から生活へと移っていくこのような低劣な情欲に捉えられた人の、即ちこのような毒の充ち満ちた情欲に捉えられた人の周囲には、ぐるぐると巻いたひるがほののように苦悩が巻き付く。この地上においてかくも強い力を持つこの情欲に打ち克った人からは、蓮の葉から雨滴が転がり落ちるように、あらゆる苦悩が転がり落ちるものである。

人々が貪欲となり或は騒優や苦悩をもって行うことはすべて悪いことである。善きことは、平和の中になされる。

自分の欲望の強いことを誇る人々は多い。しかし自分の欲望に打ち勝つ力を誇る人々は少ない。

昔はそれに対して非常に激しい欲望を感じたことに、今では、たとえ反抗ではなくとも軽蔑が感じられることを思い出したまえ。今、貴方が渇望しているあらゆることも、未来に於いても同じことになるであろう。欲望を満足させようと努めながら、いかに多くのものを失ったかと言うことを思い出したまえ。未来も現在と同じである。欲望を抑え、鎮めたまへ。それは常に、最も利益のあり、そして常に最も重要なことであるのだ。