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| 聴 法 録 328 |
聴法録328-1
自己完成は、人間の内面的な仕事であるが、同じように外部的な仕事である。人間は、人々と交わることなくしては完成しない。その人が人々に与える影響を考えないで、その人の完成のことを考えることは出来ない。
人間には三つの誘惑がある。粗野な肉体の欲望と高々とした傲慢と、激しい不遜な利益心とである。これ等のもののために、すべての不幸が、過去から未来へと永遠に人類の重荷になっている。地上に、肉欲と傲慢と利欲がなかったら、完全秩序が支配していたことであったろう。が、これ等の恐るべき病気、そして私達が誰にも内に持っている所の芽に対してとるべき手段は何であろうか。
人々が各自に自分自身に向かって加えるべき修養以外に手段はない。力を貸してくれるような法則はあり得ない。何故なら、法則というものは、ただその法則を作り出す人々の利益のために書かれる場合が、殆どそのすべてであるからだ。この世の何処に於いても私達はただ命令する権力を持っている人々が、その権力を如何に自分の利益のために使っているかと言うことを見るばかりである。が、もし善きそして聖き法則が存在しているとしたら、その力は如何なるものの中にあるか。それはただその法則がその為に作られた人々の良心の中にのみある。
かくして、よりよき生活へ進みたいと願いながら、葡萄の房を圧縮機が押しつぶすように貴方方を押しつぶしている人々の肉欲や傲慢や利欲に悩まされている貴方方は、何よりも先に自分自身の中にあるこれ等の三つの深い悪の根を滅さなければならぬ。
これ等のものが貴方の心の中に生きている間、どうしてこれ等のものが他人の心の中で死ぬことを望み得ようか、そしてもしこれ等の悪の根がすべての人々の心の中に生きていたら、永遠にあらゆる悲しむべき果実とそしてその毒に満ち満ちた種子ーー即ち暴君や奴隷や利己主義や惨虐やその他のありとあらゆる不幸と淫乱とを持ちきたすのだ。すべての人々が各自に自分から始めるのでなければ、如何なる善化も存在し得ない。そして多くの人々が自分の如何なる貧しさも厭わないほどの自己完成に達した時に、その人々は互いに寄り合ってまことの社会を形成するであろう。
その社会には、続々と外の人々も集まって来るであろう。
そして次第にそういう人々が増えて来て、肉欲や傲慢や利欲に征服された人々の数がより多くなった時、力はその人々の手の中に帰すであろう。そしてその時に神の永遠の法則と一致した世界を打ち立てる時が来るであろう。
忍耐することを学ぶためには、音楽家程度の練習を必要とする。そして私達は、殆どいつも先生がいつやって来るかと言うことをさへ忘れてしまっている。
無知が原因をなしている愚劣さを取り除くことを学ぶのはいつだって無駄なことではない。
天なる父が完全であるように、完全であれ。
絶対的に完全なるものは、天の法則である。それ故に完成即ち天の法則を知るためにあらゆる自分の心を傾け尽す事は、人間の法則である。常に絶え間なく自己の完成に努力している人はーー聖人である。聖人は、善と悪とを見分けることが出来る。彼は、善を選び、そしていつもそれを失う事のない様に、善に付き従う。
いかに私が教育程度の低い者であっても、智の道を歩いてゆくことは出来るのだ。私が恐れなければならない一つのものは、傲慢である。高い智は、非常に単純なものである。しかし人々は、真直ぐな道を好まないで、曲がりくねった横道を好くものなのだ。
上は皇帝から下は一市民まで、すべての人間は、何よりも先に自分の特性上の完成に心掛けねばならぬ。何故なら、それはすべてに共通した幸福の源であるからだ。そして最初のものが完成されないのに、どうして最後のものが完成され得ようか。
弓を引く人が真直ぐに矢を番えるように、聖人は、自分の未熟なそして動揺する、頑固で不届きな思想を、素直に正しきものに置き換えようとするものである。
奇妙ことである!人々は外部から即ち他人から与えられる悪には苛立つが、自分自身の悪と戦うことはしない。他人の悪は、自分では取り除くことの出来ないものだが、自分の悪には自分で打ち勝つことが出来るのだ。
最も普通な、無意識的なしかし時としては意識的な欺瞞ーー人々が、人間にとって唯一の必要な仕事である所の自己完成に向かって、自分の力を集中させることを妨害する欺瞞は、次の如き考えの中に成り立っているのだ。即ち絶対的な完成というものには達することが出来ないのだ。だからそれに達しようとする自分の一切の努力は、くだらないもので、そして無益なものだと考えることの中に成り立っているのだ。完成の目的は、完成の状態に達することにあるのではないーーそれに達する事は、不可能であろう。完成は単なる理想であり、道案内にすぎないでもあろう。完成に努力する目的は、自分の精神の状態を、悪から善へと転化させてゆくことにあるのだ。それだから、完成に努力することはすべての人間に共通した使命であるのだ。そして、それはいつに於いても、どこに於いてもすべての人々に対して果てしない可能であるのだ。
自分の動物的な生活を特によくしょうとすることほど、自分にとっても他人にとっても有害なことはない。そして自分の精神的な生活をよくしょうとすることほど、自分にとっても他人にとっても有益なことはない。
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