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| 聴 法 録 330 |
聴法録330-1 大事です
謙遜は、人間を確固たる地盤の上に立たせる。そのような地盤の上に立って、彼は自分に運命づけられた仕事を成し遂げることが出来るのだ。人間が傲ぶれば傲ぶる程、彼の立場は脆弱なものになる。
何よりも水のようであることが必要である。妨害物がないと、水は流れる。堰があると、止まる。堰を取り除くと、又流れ始める。水は方円の器に従う。このような性質のために、水はあらゆる物よりも必要であり、あらゆる物よりも力強いのだ。
謙遜は、自分を罪多き人間と考え、自分の善事を仰々しく考えないことから生じる。
人間が自分の内面を深く究めれば究めるほど、ますます自分が価値のない者に思はれてくる。聖者の第一の教えは、何にあるか。謙遜にあるのだ。謙遜について、基督及びその使徒達は多くのことを語ったが、人間は少ししか知らない。謙遜は、人が自身を知ることを試みる時に彼の中に最初に生まれてくる感情である、謙遜は、智を深める者でもある。自分の弱点を知ることは、私達に力を与えてくれる。
神の教えは、水に似ている。水が、高きを捨てて低きにつくように、神の教えもただ謙遜な人々にとってのみ受け入れられる。
聖智は、水が高きにとまらないように、不遜なる人のところにはない。そして聖智も水も、低き場所を探している。
聖者は、自分がしたいと思う善を為し得ない力の不足を悲しむ。しかし人々が彼の善を知らないこと或は彼を誤解する事を悲しまない。
聖者が徳高き行いを積む時、人々の眼から隠れてそれを為すものである。そしてそれが誰にも知られないことを悲しまない。
学問を求める者は、毎日、世界の眼の前で大きくなっていく。
まことの智を求める者は、毎日、だんだん小さくなっていく。
彼は、すべてのものに対する謙遜に達することの出来るまで、ますます小さくなってゆく。彼が、すべてのものに対する謙遜に達した時、成し遂げえない何物も存在しない。
自分というものに対して、どれほど少ない知識しか持っていない者でも、自分の悪いことより他人の悪いことの方を余計に知っているという者はない。
善と聖とを併せ持っている人の第一の特徴は、自分が極く僅かなことしか知らないと意識している点にある。自分より多くの事を知っている沢山の人があると、彼は常にその人々から教えてもらいたいと考えるが、決して自分が教えようと考えることはない。自分が人を教えたり導いたりしようと思うものが、よく教えたり導いたりすることは決して出来ない。
自分自身のことを誰よりもよく知っている人は、誰よりも自分を低く評価する人である。
自分の力を知ることに努めよ。自分の力を知りそしてそれを低く考えることを恐れるな。拡張して考えることを恐れよ。
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