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| 聴 法 録 332 |
聴法録332-1 大事である
私達の誰でもを待ち受けている所の死ほど、確実なものはない。が、私達は皆、まるで死なんか存在しないように生活している。
肉体の死とともに、私達の人生は途絶えてしまうものであろうか。この疑問は最も重大なものである。が、人間は極く稀にしかこのことについて考えない。私達が永遠の人生を信じているかあるいは信じていないか、そして私達の行為が知的であるかあるいは無思慮であるかと言うことを考えよ。すべて智深き行為は、まことに人生は不滅であると言うことを信じる所にその基礎を持っている。
それ故に、最初に私達が心を煩さなければならないことは、人生には明らかに不滅のものがあると言うことを究めそして理解することである。ある人々は、常に全力を盡して自分でこれを明らかにしようと努力する。その人々は、そのことにすべての自分の生活がかかっていなければならないことを知っている。
他の人々は、不滅と言うことに疑いを抱きながらも、真剣に自分の疑いに苦しみそしてそれを最も大きい不幸だと考えている。その人々は、ただ真理を知る為には何物をも惜しまない。そして倦むことなく真理を探求しそれを自分の人生における最も重要な仕事だと考えるいる。
しかしこのことについて、決して何も考えない所の人々がいる。彼等自身に関することであるのに、その人々がそれについてかくも無関心であることは、私を驚かせ私を苛ら立たせる。
もしこの世における苦悩が癒しがたいものでありそして善を生む事のないものであったら、この世は恐ろしいものである。この世は、言葉では言い尽くせない様な残虐や幻滅や悲しみを完成する為の、悪に充ちた、下劣な組成である。この世は、いい現わし難いほど不道徳である。何故ならこの世は、未来の善のために悪を為すのではなく、空虚にそして無目的に、毒々しき悪を為すのだから。その結果は、ただ何百万の人々の苦悩を生ぜしめるだけである。この世の希望は欺瞞的であり、この世の道は奸計に充ちている
この世は、生れ落ちると同時に私達を打ち、私達の幸福すべてのコップの中に悲しみを混ぜ、死を毒に充ちた苦しみとする。
私達は誰も、この世の恐るべき悪を見る。そして結局、もし神と不滅とがなかったら、人々の中に言われてる所の人生に対する険悪も、私には理解できることである。この険悪は、この世に存在する秩序、もっと早く言えば無秩序の中に呼び覚まされる。それは、正しい名を以って呼べば、恐るべき道徳上の混乱である。
しかしながら、もしただ神が私達の上に在りそして永遠が私達の前にさえあれば、すべてのことは変わってしまう、私達は、悪の中に善を、闇の中に光を見通すことが出来、希望が絶望を追いやってしまうであろう。
以上の二つの過程の中、どちらを信ずべきであろうかこういう事が言い得るであろう。人間は道徳的な存在物である、そして人間は、現世に存在する秩序を呪う正しき義務を賦与されている者だ。そして彼等の前にはこの世の矛盾を解決し得る道が存在しているのだと言うことをである。もし神と未来の生活がなければ、人間はこの世と自分の誕生の日を呪はなければならぬ、もしこれに反して神と未来の生活があれば、人生はそれ自身、幸福となるであろう。そしてこの世界は、道徳の完成とそして幸福と神聖とが果てしなく大きくなる場所となるであろう。
自分の生活を深く知れば知るほど。死による破滅を信ずることが少なくなる。
私達はまま死と死に際しての変化を想像してみようと努めるのだが、それは神の形を想像することが出来ないように全然不可能のことである。このうな事のすべては、死も、神から出るあらゆるものと同じように善であることを信じることだ。
感じ、理解し、生き、そして存在する所の根源は如何なるものであろうとも神聖でありそしてその故に永遠的なものでなければならぬ。
死について真剣に考えたことのない人間のみが、不滅なものを信じないのである。
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