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| 聴 法 録 336 |
聴法録336-1 大事
人間の心は、神と一つのものであるのだ。
人間の心は、神の光である。
人間は、神が既に人間の中に存在していることによって神と結びあうのである。私が神を見る目は、神が私を見る目と同じ目であるのだ。
或る時、川の魚が会議を開いて話し合った。「私達の生命に水を離れては存在しないのだと言うことを、聞かされている。が、私達は水を見たことがないのだ。そして水がどんなものだか知らないのだ。」その時少し智慧のある魚が言った。「私達は、海には大変賢いそして学問のある魚が住んでいて、何でもよく知っていると言うことを聞いている。これから皆で海に出かけて行って水を見せてもらいそして水とは一体どんなものか、話してもらうように頼もうではないか」そこで魚の群れは海に出かけその賢い魚が住んでいる場所に行った。その魚は答えた。「貴方方が水を知らないのは、貴方方が水の中に生きそして水によって生きているからだ」と。同じように人々も、人々が神の中に生きそして神によって生きているために、神を知らないのである。
その思想によって天上にまで登るものには、常に輝ける太陽が見えるであろう。雲の上には、常に太陽が輝いているのである。
神の心は、私達の心をとらへそしてその中に浸透している。私達は神を見ることがない。それは神があまりにも私達の近くにあり、あまりにも深く私達の中に隠れているために、私達の不完全な意識の上へのぼり得ないからなのだ。そして神がそのように私達の近くにあるのは、私達が神を認識する為だけでなく、神が私達の上に働きかけ、影響しそして私達に私達が神に属するものであることを教えるためであるのだ。この中に、神の慈父の如き贈り物があるのだ。
貴方が何か不満を感じ、何かを恐れるのは、貴方自身の中に存在している神の愛を信じないからなのだ。もし貴方が神を信じたら、いかなる望みも不満足には終わらない。何故ならあなた自身の中に存在している神の望みは、すべて常になし遂げられるから、そして何物をも恐れることはない。何故なら神にとって、恐れるべきものは何物もないから。
もし私達の力を自然の力と比べたら、私達は運命の玩具にすぎない。が、その代わりに私達が自分自身を創造物と考え、創造主の心が自分自身の中に浸透していることを感じる時、私達は平和の喜びを得そして心の中に安静を得るであろう。
私達の心の本源性はまことに深い。それ故それを知ろうと試みて、私達がいかなる定義を与えても、常にその埒外に出てしまうものである。
たとへいかなることが貴方を襲おうとも、自分と神との結合を意識している時には、貴方は決して不幸とはなり得ないであろう。
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