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| 聴 法 録 337 |
聴法録337-1
平等とはーーこの世のすべての人々が、この世の唯一の幸福に利することに共通した権利を持ち、共同の生活から生み出される幸福の上に共通した権利を持ち、そしてあらゆる個人を尊ぶことに共通した権利を持っていることを知ることである。
私達は、この世に於いて基督教がいかにその本質を改変され、それを信じる者がいかに少なく或はほとんどその正しい信仰が存在していないことに驚かされる。が、人々のまことの平等を打ち立てることを自らの使命としている教えがほかにあろうか。すべての人が神の子であり、すべての人は同胞でありそして全ての人の人生は同じように神聖なものである事を言うことを自らの使命としている教えが、基督教以外にあるであろうか。まことの平等は階級や地位や私有財産をぶっ壊すだけでなく、不平等の最も重要な武器であるところうの暴力を破壊することを要求する。平等は人々が考えているように社会的な標準の中に実現されるものではない。それはただ神(善と真実)に対する愛そして人間に対する愛の中に実現される。神と人間とに対する愛は、人々に社会的な標準をではなく、まことの宗教的な教えを吹き込む。人々は、自由や同胞愛や平等は恐ろしき刑罰によって実現され得ると考えることによって、愚かな過失に落ちた。これはしかし、これ等の理想が信ずべからざるものであると言うことを示すのではなく、誤った人々がそれ等の理想を実現させようと試みた所の方法が信ずべからざるものであったと言うことを示すにすぎない。
平等は不可能だと言われている。何故なら常にある人々は他の人々よりも、力が強くそして智慧も多いから。ある人々が他の人々より力が強くそして智慧も多いからこそ、人々の権利の平等が特別に必要なのだと、もし、知恵と力との不平等の外に、尚権利の不平等があったら、弱い人々が強い人々から受ける暴圧は、ますます大きなものになって来るから。
基督教国の国民たちの生活を振り返ってみる必要がある。
その中のある者は、全然不必要な仕事、正しい知覚を失った殺人的な仕事にそのすべての生活を費やしている。他の者は、あらゆる種類の享楽のお祭り騒ぎに夢中になっている。そしてそのために、その人々は恐るべき不公平の段階にまきこまれている。その人々は基督教の法則を説いているのだが、それは特に、恐るべき残酷なそして最も明白な不平等の中に人生を打ち立てながら、虚偽の仮面の下で平等を説いているのだ。
平等は得ることの出来ない者であり或はただ遠い未来に於いてのみ得ることの出来るものだと言うことを信じるな。子供に学べ。平等は今すぐに得られるであろう。それは施設や法律を通しではなく、貴方の生活、貴方が交渉を持つすべての人々との関係によって得られるのだ。自分を偉いそして高貴な人間だと考えている人々に特別な屈従を示すことなく、そして重要な事には、自分を小さい低い身分の人間だと考えている人々に対しても、すべての人々と同じような尊敬を示すことによって得られるのだ。
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