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                聴 法 録 34

聴法録34-1

法性法身が大本(真実の「いのち」が大本)

法性法身、これが分かると言うことが非常に大事なことなのです。
今まで法性法身とか法身仏とか、そういうものを真宗でいうてくれなかった。
阿弥陀仏ばかりいっているために、阿弥陀仏がわからなかった。
阿弥陀仏と言うのは、そういう実体があるのでなくて、阿弥陀仏の誓願だけがあるわけだけど、それが分からんようになってきた。何のために弥陀の誓願があるのか分からんようになってきた。法性法身、あるいは法身仏のことを、あまりいわんところうに原因があるんだと思うのです。だから、法性法身というのは、はたらきそのもの、はたらきそのものから、宇宙に存在する。一切のものが生まれてきているし、我々も法性法身から、縁あって人間に生まれてきた。というのは、我々人間に生まれようと思って生まれてきたものは、一人もありませんのだから生まれてきたら人間であった。縁によって、法性法身から人間に生まれてきた。そういうことになると、虫けらでも、木や草でも、皆法性法身から生まれてきていると、これは間違いない。

そういう間違えないところをおさえてある。法性法身(真実の「いのち」)これが分かると言うことが、人間にとって一番大事なことである。というのは、これから生まれ、これによって生かされて、今も娑婆に生きとるのは法性法身(真実の「いのち」)の世界やから、これだけは間違いない。この娑婆で何を信じておろうと、これだけは間違いないと言うことをおさえなければならない。

だから法性法身(真実の「いのち」)のことをいつもいう。法性法身(真実の「いのち」)がうまれてくる。何のための方便法身、これが阿弥陀仏だけど、何のために方便法身が生まれてくるかと言うと、衆生を法性法身(真実の「いのち」)に帰すために生まれてくる。弥陀の誓願というのは、我々を法性法身(真実の「いのち」)の世界に帰す。法性法身(真実の「いのち」)を分からせる。その方便として、南無阿弥陀仏という言葉が生まれてきた。それを知ってるということが、浄土真宗の根本であって、一番大事なことだと思う。法性法身(真実の「いのち」)の中に今も生きているという。我々の本当の姿に遇わせるのが、弥陀の誓願不思議と思う。
真実のいのちによって、真実の私が育てられる。