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| 聴 法 録 341 |
聴法録341-1
人が、自分の意志と内在する真実の生命の意志とを一致させ得た程度によってのみ、自らの進む道におけるそして他の人々の前における、その人の確固さが、はかられる。
貴方が、真実をもってそして心の中から、「内在する真実の生命よ!私を貴方のお好きな所へ連れて行ってください」と言い得る時―その時にのみ、貴方は奴隷から逃れ、まことの自由の身となり得る。 ― (エピクテタス)
常に内在する真実の生命の意志に従って行為し、そしてあらゆることに於いて内在する真実の生命に従順なる人の中には、何という力が存在し得るだろう! ― (オーレリアス)
知恵深き人は、自らの人生に於いて、彼は自分に向かって言う。
「人生には、至る所に多くの災難がある。この沢山の災難を避けるために、どこに保護を求めたらいいのか。危険でなく旅を続けてゆくために、どのような道連れが来るのを待っていたらいいのか、誰の後についてゆけばいいのか。あの人々か或はもっと他の人々か。金持ちか或はあの羽振りのいい人たちかそれとも王様か。その人々の中に、だれ一人にだって保護を求めることは出来ない。何故なら、その人々は皆、奪い合い殺し合い、そして泣き、お互いに不幸を感じ合っているからだ。そして私がその後に付き従っていくその人自身が、私を攻撃しそして私を略奪するようなことが、ないとも限らないのだ。それでは、決して私を攻撃する事もなく常に私の保護をしてくれるような、信頼すべきそして力強い道連れを、私は見出すことは出来ないのか。誰の後に私はついてゆけばいいのだ」そして智慧深き人は答える。内在する真実の生命の後に付き従ってゆくことは、何よりも危険が少ないと「しかし内在する真実の生命の後に付き従ってゆくことはどういう事を意味するのだ」それは、内在する真実の生命の欲することを欲しそして内在する真実の生命の欲せざるものを欲しないことを意味する。「しかしいかにすれば、それが出来るのだ」内在する真実の生命の法則の中に浸透せよ。内在する真実の生命の法則は、貴方の心の上に書かれてあるのだ。―(エピクテタス)
永遠なる運命よ、見えざる歩みをもって歩め。その見えざる足跡にのみ、私は疑いを抱かない。その歩みが後へ引き返すように私には思われる時でさへ、私はただ疑わない。―(レッシング)
基督の教えは、人が、人生は自分のものでなく、人生を与えてくれた神のものであること、そして人生の目的は人間ではなく、人生を与えてくれた神の意志の中にあること、そしてこれ故に神の意志を知りそれを実行することが必要だと言うことを、はっきりと理解した時にのみ、その人の所有となる。
何も欲しないと言うこと以上に強い力はない。これは必要なことではない。神が欲するものをよくすること事だ、自己否定から犠牲へ移ることだ。犠牲から自己犠牲へと移ってゆくことだ―(アミエル)
自己の境遇を軽蔑するな。どこにあっても貴方は、行為し、苦悩し、勝利を得なければならないのだ。大地のどのような場所に於いても、私達は同じように天に近く、そして永遠に近いのだ。
―(アミエル)
神の意志は、狭い道である。私達は神の意志を、沼の上に渡された板橋を知るように容易に知る。が、道を見失うのは、私達が無知や悪の沼の中に沈んでしまうからである。
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