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| 聴 法 録 343 |
聴法録343-1
祈祷は、神(真実の生命)に対する自分の関係を明らかにするものであり、確かめるものである。
祈祷は次の如くせよ。「天なる父よ、その名の清きことを。その王国に来たらんことを。その意志の、天上にある如く地上にもあらんことを。今日も一日のパンを与えたまへ。そして私達がその負債者になす如く、私達の義務の支払いを命じたまへ。私達を、一切の悪より避けしめたまへ。そして私達が、罪に落ちることをなからしめたまへ。何故なら天なる父の王国は、永遠に力と恵とであるから。アーメン」
この祈祷の中には、人間の、神(真実の生命)と世界に対する関係が言い表はされている。そしてかくの如き祈祷を繰り返して口称することは、まことに有益である。しかしそれはただ貴方が、その真実の意味を意識している時にのみ、有益であるのだ。
信仰とは、人生の理想を毎日、磨くことである。毎日の偶発的な生活のために、停滞し、混乱し、焦ら立たせられるところうの私達の内面的な存在を、平均な状態にかえらせることである。祈祷は、精神に振りかける香油であるそして高価な、確実な効果を持っているところうの治療である。それは私達に、平和と勇気とを取り返してくれる。
祈祷は、天な父の命令と地上の私達の義務とを思い起こさしめる。祈祷は、私達に向かって、かく告げる。「愛せられるが如く、愛せよ。受け取る如く、与えよ。お前は死ななければならない者である。故にお前自身の仕事を成し遂げねばならぬ。怒りを寛大によって征服せよ。悪を善によって征服せよ。貴方自身の愚かなる意見、誤れる自信そしてあなた自身の犯しやすい不敬の行為に、打ち克たねばならぬ。とるに足らない人々の何に見習い、俗世間の成功を得なければならない様な義務は、貴方にはないのである。為すべきことを為せ。来るべきものを来たらしめよ。貴方のための証人は、貴方自身の良心である。そして貴方の良心は、貴方自身にのみ話しかけるところうの、神(真実の生命)であるのだ。
―(アミエル)
次の事を知らなければならぬ。即ち、私達がお祈りをしたりお願いをしたりする毎に、神(真実の生命)の意志は変わるものではないこと。そして私達のお願いをすることを聞き入れて頂くようにお祈りしながら、自ら私達は神(真実の生命)を知るものであること、そして神(真実の生命)の力を知ることによって私達の心は浄化され、高められるものであることを知らなければならなぬ。
―(タルムード)
祈祷によって、何か個性的な神(真実の生命)に訴えるように感じるのは、神(真実の生命)が個性的であるからではなく、私自身が個性的な存在であるからだ。(私は、神(真実の生命)が個性的であり得ないと言うことをよく知っている。何故なら個性とは有限的なものであるが、神(真実の生命)は無限であるから)
つまり私には緑色の硝子が、眼にはまっているのだ。そのために私には、あらゆるものが緑色であるあるように見える。見えざるを得ないのである。たとえば、自分ではすべてのものが緑色であるわけがないと言うことが、よく解っていてもである。
正直な人にとって、祈祷とは、殆ど一分ごとに彼に向かって善きことをもたらしてくれる所うの「創造者」に対する自分の関係を明らかにすることである。父と子とに於けるが如く、人々に対する自分の義務を明らかにすることである。自分の為したあらゆる行為を清算することであり、そして過去に於いて犯した過失や錯誤を未来に於いて避けるために、自分の闇黒のような昔を正しく判断することである。―(ダルムード)
神(真実の生命)に奉仕するのは、ただ祈祷によってのみ可能であり神(真実の生命)の意志に服することによってではないと考えることは恐ろしい。―(ジョン・ラスキン)
祈祷することに魅惑を感じた時に、祈祷せよ。ある一定の時に祈祷する習慣が出来た時には、そのままにしておいてはならない。祈祷が死んだ習慣になることを恐れよ。
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