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| 聴 法 録 346 |
聴法録346-1
虚栄心の高い人間は、人々から称賛されたがる。が世人に賞賛されようと思えば、世人がよいと認めるものになることが必要である。世人は自分の気に入ったものを善いと考えるのである。そして世人がよいと考えるためには、世人の気に入らなければならないのである。それ故、虚栄心を満足させることほど愚かな仕事はない。
恥じる必要のないことを恥じる者、そして恥なきことを恥じない者は、虚偽の考えに従いながら、破滅の邪路に落ち行くものである。
ー(仏陀の言葉)
虚栄心の強い人間は、自分自身のことで一杯で、他の何物を入れる余地もないのだ。
「他の人々が行っている通りに行うべし」という訓戒は疑はしいものである。それは殆ど常に、悪いことを行なうべし、と教えているのと同じである。―(ラ・ブリユイエル)
一人の人が他の人に、何故自分で気の進まない仕事をしているのか、と尋ねた。「皆の者がそうしているから。」と、彼は答えた。「いや、皆の者じゃないと思う。」と、先の人が言った。「それが証拠には、現に私はそんなことをしていない。私以外にもそんなことをしていない人々を、ごく少数だが、示すことが出来る。」「いや、皆の者でないにしても、非常に多くの者がこれをやっている。人間の大部分がやっている。」「じゃ言ってくれ給え」と、重ねて先の人が尋ねた。「世の中には、どういう人間が一番多いだろう?馬鹿者か、利口者か。」「もろん、馬鹿者が多いだろう。」「それなら君は、多数の者の真似をしているのだから、馬鹿者の真似をしているんだね。」
自分達が実際は見せかけ通りの者でないと言うことを賢い人々に思わせようとすることは、自分達が欲している見せかけ通りに、本当になることよりも、多くの場合困難であるのだ。
―(リフテンベルグ)
狭い見解を持っている人間ほど、自恃することが多いものである。
―(ポープ)
今も昔も、人々は沈黙を守っているものを嘲笑する。そして饒舌の者を嘲笑する。それから言葉少ないものをも嘲笑する。―で、非難されない者は一人として、地上にはいないことになるのである。常に賞賛されるものがないように、絶えず非難されなければならない者は、曾ても決してなかった。将来にもないだろう。今もない。
―(仏陀の言葉)
俗世間の意見と言うものほど、人生に於いて虚偽の先導役を演ずるものはない。
私達にとって、自分自身の自尊心に同意しないことは非常に困難なことである。同時に、私達を褒めそやかすものを気持ちよく思わないようになることも困難なことである。―(アミエル)
人間の自負というものは、少しの間でも自らを抑圧していることを許さない、不思議な特質を持っている。Aという一つの破れ穴を補修して、そこからのぞけないようにすると間もなく、自負はBという別の穴からのぞく。そしてこれを補修すれば今度はまた、Cという穴から現れる、という具合である。―(リフテンベルグ)
私達は、自分達に似ていることが多ければ多いほど、他の者を称揚するものである。それ故、誰かを尊敬すると言うことは、往々その人を自分と同等にすると言うことを意味しているにすぎないのである。―(ラ・ブリユイエル)
この世の栄誉や世人の賞賛を得たいと心を労するのは愚かなことである。何故なら、世人がすべて同一のものを善と考えていないばかりでなく、ある人々が最も高き善と考えているものを、、他の人々が悪と考えていることがまゝあるから。
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