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| 聴 法 録 349 |
聴法録349-1
俗世間的な智慧は、すべての人々がしているようにして生活することにある。まことの智慧は、理智に一致した生活をすることにある。たとえその生活が普通一般の人々からは誹謗されようともである。
天は、私達の罪に対して憤る。世間は、私達の道徳に対して憤る。―(タルムード)
人間の理智は、神(真実の生命)の燈火である。その火は、あらゆるものの最も深い所にまで浸みいる。―(東洋の聖言)
自分を褒めてくれる人の量の多いことよりも、質のいいことが肝要である。悪しき人々に好かれないことが、まことの賞讃なのだ。
―(セネカ)
神(真実の生命)を追い出すものが、貴方も追い出すようであれ。神(真実の生命)の言葉を守るものが、貴方の言葉も守るようにあれ。
もし私達が動いている船の上にいて、その船の上にある何かを見ている時、船の動いていることを感じられないであろう。もし外にあって船と共に動いていないものを、たとえば岸辺を眺めていたら、私達には船の動いていることが直ちに感じられるであろう。これと同じことが、人生に於いてもある。すべての人々が生きるべき道を歩いていない時、それは目立たない。が、ただその中の一人の人間が神(真実の生命)を理解し、神(真実の生命)を道を歩いていたら、他の人々がいかに邪悪な生活をしているかと言うことが直ちに明らかになる。そしてそのために、他の人々はその人を追放する。―(パスカル)
人間の本性は、二つの方面から見られている。一つはその使命の方面からである。この時、人間は偉大であり不可解である。もう一つは習性の方面からである。(馬や犬をその習性から見分けるようにである。その習性によって、馬や犬の走力の程度を見るようにである)そしてこの時、人間は低劣でつまらないものである。この二つの側面から、哲学の人間に対する判断に役立つものなのだ。がある人々は第一の側面を否定している。その人々は、人間は高い使命のために生まれて来たのではない、人間のあらゆる仕事はその反対であると言っているが。他の人々は言っている。人間がとるに足らない行為をする時は、その使命から離れ去るものだと。
―(パスカル)
聖智に反する誹謗や圧迫を悲しむのは、間違っている。もし聖智が、間違った現世の狂気沙汰を見破らなかったら、聖智は聖智でないのである。そしてもし人間が、それを見出されても平気で、自分の生活を変えることをしなかったら、人間ではないのである。
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