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| 聴 法 録35 |
聴法録35-1
「どんな苦労の中に自分がおっても、我が行は、精進して、忍んでついに悔いじ」
私は男に生まれた。女に生まれた人もある。これは自分でえらんで生まれたんではない。これは宿業といいますけれども、その現実のあり方が、みな真実の「いのち」しとる証拠である。「真実の「いのち」の中でもがいたり愚痴をいったりしてるのが、我々でないかと思うのです。真実の「いのち」を確かめていくことができる。真実の「いのち」というのは一生涯かかって、確かめ確かめして生きるべき教えであると、私は思うものであると思うのです。
私の考えなんかとるに足らんものでしょうけれども、とるに足らん私が、いのちがあって生きとるということが、これは真実の「いのち」が生きてる証拠だと思う。そういう真実の「いのち」に感動しますと、その生きた真実の「いのち」をお伝えしたい。講義に書かれてあるとか、そんなものは死んだ真実の「いのち」だ。真実の「いのち」は生きているんです。私が生きているところうに真実の「いのち」は生きている。一切が真実の「いのち」が生きてることが一番大事なことで、生きた真実の「いのち」でないと、生きている我々には何の足しにもならんのでないか、こう思うのです。
真実の私が育てられることでなければ意味がないのではないかと思うのです。 |
聴法録35-2
見ルヤ君
問イモ答ヘモ
絶ユル世ノ
輝キヲ
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