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| 聴 法 録 353 |
聴法録353-1
生活の本質は、、肉体の中にあるのではない。良心の中にあるのである。
もし私に、骨や筋肉やその他のものでなかったら、自分が正しいと考えていることが出来ないというのは、正しく真理である。が、私が正しいことを為す原因が、骨や筋肉にあるのであって、善に対する愛にあるのではないと信じることは、全然愚かである。そんな事を言うのは、物の原因と、原因に結びついているものとの区別をすることが出来ないことを意味する。多くの人々は、暗闇の中を手探りで歩きながら、単に原因に伴っているのにすぎないものを原因と名づけているのだ。―(ソクラテス)
人生は、神(大いなる真実の生命)の精神力の中に於いてではなく、物質的な力の中に或はこの二つの力の混合の中に明らかにされる。何故なら精神的な生活も、肉体の物質的な支持物(栄養、空気)がなければ、存在し得ないからーーとすることは汽車が動くのは蒸気の力ではなくて、蒸気を適時に気?の中へ入れる弁膜の働きのためだと考えること、間違っているように間違っている。
実際、弁膜がうまく調節しなかったら、蒸気は適当な時に鑵から気?の中に落ちることはないであろう。しかし蒸気の力のために回転するピストンの働きがなかったら弁膜自身では汽車を動かすことは出来ないのである。
―(フヨードル・ストラフル)
神(大いなる真実の生命)に属するものが、私達の中に住んでいる。そして止むことなく、その本源に帰ろうとしている。―(セネカ)
人間は、精神と肉体とを自分のものと考え、そしてそのために絶えず苦しんでいる。が貴方自身の本質は精神の中にあることを知れ、この意識の中に浸透し、精神を肉体の上に持ちきたし、精神をあらゆる外部的な日常時の粉塵から守り、肉体に精神を従属させることを許さず、生活を肉体と一致させることを避け、精神の生活を合流せよ。その時、貴方はすべての真理を成し遂げ自分の使命を成し遂げることによって、神(大いなる真実の生命)の力の中に没入し得るであろう。―(オウレリアス)
精神的な生活とは、自分のすべての行為の原因を、精神的なものの中に見ることである。精神的なものとは、「原因」を持っていない本源のことである。そして精神的な生活とは、この本源によって生活を導かれる事を言う。
精神的な本源を知らない人々は、自分の行為を導くものを、肉体的な原因に結びつける。そのためにそれは非常に複雑となり、私達は決してそのすべてを見通すことが出来ないのである。何故ならその時、あらゆる結果は、結果の結果となるから。
そしてその人々は、自分の行為に対して、確固とした基礎を、決して持つことは出来ないのである。
私は精神或は人間の中にある力という名によって、それ自体自立的な生活を持ち、人々を良心的な生活へ目覚まししめるものを意味する。―(オウレリアス)
肉体が破滅するものであることを理解することによって、貴方は永遠不変のものを見ることが出来るのだ。―(仏陀の言葉)
人々よ、精神の中に生きよ。人生の本質を、肉体の生活に帰せしめるな。肉体は、この内なる力を持っている皿にすぎないのである。人間のあらゆる表面的なものはただこの精神の力のためにのみ生きているのだ。精神のない肉体は、織匠のない筬の如く、書き手のないペンの如きものである。―(オウレリアス)
神(大いなる真実の生命)はすべてのものを見る。が、私達は神(大いなる真実の生命)を見ることはない。同じように、精神は眼に見えないものである。がすべてのものを見ているのだ。
―(タルムード)
精神が肉体を導くのである。その反対ではない。そしてそれ故、自分の境遇を変える為には、人は精神的な領域における自分自身をよく処理すべきである。決して肉体的な領域における自分自身をではない。
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