聴  法  録  365

聴法録365
愛は、大いなる真実の生命の現れである。愛に時間はない。それ故愛は、現在にのみ、あらゆる現在の一瞬にのみ現れるのだ。
一般に愛するとは、よきことを為すことを意味している。私達そのように解しているが、他に愛を解する途はないのである。
愛は言葉であるばかりでなく、他の人々に幸福をもたらすところうの実行である。人がもし、それ以外の、将来の大きな愛を行なうという名のもとに、現在の小さな愛の要求を受け入れまいと決心するならば、その人は自分と他の人を欺いているのであり、自分一個の外には誰をも愛していないのである。将来における愛はあり得ない。何故なら、愛は現在における行為でしかないから、現在於いて愛を実行していない者は、愛を持っていない者である。私達が愛しているものに対して、公平であり、慎み深くあり、注意深くあることに何時でも躊躇することはいらないのである。私達は、彼等が或は私達が、病に侵されたり死に脅かされる時を待っていなくてもいい。人生は短いのだ。この行程を一緒に行く人の心を喜ばせるために、あり余った時間はないのだ。私達は、よき者となるために、急がなければあらない。(アミエル)

貴方が助けを与えている不幸な人からは、離れていよ。恩人の名前を知らせることなく、その恵みを心から楽しませよ。

貧しき者を助けよ。しかしその者の貧困の理由を知ろうと努めるな。その理由を明らかにすることによって、貴方の同情が弱まることのないために、たとえ世界中のものが貴方を非難しようと、貴方はよきものであれ。(ローデイ)

愛には二つの種類がある。そのひとつは、万人の中にある同一の精神的本源に対する愛を知らずに、人々を愛しているものである。
他の一つは、万人の中にある唯一のもの…即ち万人の中にある同一の精神的本源を愛しているものである。その二つの愛の違いはどこにあるのか?第一の場合に於いては、私達は、その人々が自分の気に入ってる間だけ、人々を愛しているのである。第二の場合、即ち、万人の中にある唯一の本源を愛する場合には、その人々が自分の気に入らぬ時さえも、人々を愛するのである。第一の場合に於いては、絶え間なく愛の対象が変わるのである。妻、友人、夫等々と絶えず変わるのである。何故なら、私達が、愛している人々は絶えず変わり、彼等に対する私達の感情も変わるからである。第二の場合に於いては、私達の徳性上の成長の度合いによって、私達は益々はっきりと万人の中に内在する真実の生命の
精神的な本源を認識し、益々深くそれを愛するであろう。