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聴 法 録 368
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聴法録368-1
思想
行為とは思想の結果である。行為を是正しようと思うなら、先ず思想から正さねばならぬ。そして、思想は内在する真実の生命に方向を展開することによってのみ、是正せられるものであるから、第一に内在する真実の生命の是正が肝要である。
思想の使命
罪悪、誘惑、妄信等から、逃れ出るには、肉体の努力のみで不可能だ。どうしても思想の力を借りらければならぬ。人間は唯一つの思想によってのみ、克己、謙遜、正義なるものとなり得る。この場合、人間は罪悪、誘惑、妄信等と事実上絶縁するのである。人間が思想しない者であったら、何故生きているかと言うことも理解できないであろう。そうしたら、善悪の区別など勿論不可能である。だから、思想することは、人間にとって最も尊いものの一つである。
「相愛せよ」という教えは、私達に愛の実現方法のみを教えるのではない。何物が愛の発現を妨げるのか、と言うことを示してくれる。この生涯から、愛の発現を妨げるものを除去することは、最も貴重な仕事である。宗教的な徳義訓と、良心との二つが人生を指導するように思われているが、いるが、実は良心のみが人間を導いて行くのである。良心は、私達の心にある神(内在する真実の生命)の声であるからだ。この声は、人間のために、「何を行なうべきか、何を行なってはならぬか」を示す警鐘でもある。人間は、誰でも、その場所と時とを問わずに、この声を聴くことが出来る。
眼は物を見る器械であると言うことを、知らなかったら、人間はいつまでも、哀れな盲目でなければならない思想する力が、与えられてあっても、この使用を知らなかったら、矢張り不幸に陥ってしまうだろう。不幸などは、捨てて置けば自然に消滅してしまうのだと考えているものは、自ら無為な人間となってしまう又、知に重きを置く人が、「人生の不幸は、人間の利益のために与えられたものだ」と考えて願みなかったなら、その良心は鈍ってしまうだろう。
人間は多くの場合、その不幸を直視せず、顔をそらしているから、ますます、不幸と絶縁出来ないのである。
大いなる真実の生命が私達に真実の生命を与えて、若し意表に反することに出会っても努力次第でその不幸を緩和するように慈悲を与えてくれるから、落胆せずに力闘すべきである。
私達は又、生まれながらに、独立心を持ち、肉親は勿論、周囲の人々から厄介になる必要はない。唯、大いなる真実の生命の慈悲にすがって人生に勇往邁進してゆけばよい。
新しい思想を発見し、その正しいことを確認したら、以前に抱いていた思想を一つの記念物のように大切に扱おうではないか、真理は人間の真実の生命が生まれながらもっているものであるから、何時までも虚偽に覆われている筈はない。早晩必ず表面に現れるものだ。
真理のようであるが、少し疑わしいと思われる思想がある。こんな真理は信じる気持ちになれない。若し、こんな真理に出会ったら、反復熟慮した方がよい。それが、純然たる真理なら、一度心に銘じたが、最後、何時までも動かないが、虚偽の真理ならば、直ぐに動いてしまう。
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