聴  法  録 369

聴法録369-1
大事である
汚れた心をもって、何故内在する真実の生命と物語ろうとするのか。何故聖地に行くというのか。心の悪しき者が、どうして真の聖地に行けようか。聖者は森にも、天にも、清潔な川にもいない。ただ正常な自己の心中に住んでいるのだ。心を清浄にしていると、聖なる内在する真実の生命が現れて、その身体を内在する真実の生命の宮殿としてしまう。悪念を去れ。そして、大いなる真実の生命の心で見よ。すると、内在する真実の生命が心の眼に映る。かくして人間は、自己を知り得るのだ。これを体験せずして、書籍によってのみ心中の恐怖を消滅させようとしても、それは不可能である。
書いた灯火では、闇は照らせない。どんなに厚い信仰を持ち。どんなに熱烈な祈りを捧げようとも、その心に真理がなかったなら、決して幸福は得られない真理を得た者のみが、精神的に生まれ変わるのだ。真の幸福の源泉は、心中にある。自己に内在する真実の生命以外に幸福を求めるものは愚かな人である。彼は自分の懐に入れた子羊を探し回る牧人のようだ。
大いなる真実の生命の宮殿を建てるのに、何故そんなに石や木材を探し回って苦しむのか。大いなる真実の生命の宮殿は、自己に内在する真実の生命にあるのではないか。

暁の明星の如く、各人の心に輝いている内在する真実の生命こそは、私達の望みと楯である。


人生の行路に癒着する悪を排除するのは、 宗教が抱くものから始めるべきだ。然る後、各人の、心に宗教的真理をはめ込むがよい。