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| 聴 法 録 37 |
聴法録37-1
自分自身を見ると言うことが、真実の教えですから、自分自身は、何のために人間に生まれてきたのか、それを明らかにするには、自分自身を見ると言うことが非常に大切なことです。自分自身ほどわからん者はない。自分自身と言うものが見えないのです。
「無上仏にならしめんとちかいたまえる」ちかいのようは、無上仏にならしめんと、我々一人ひとりを無上仏にならしめん、「無上仏」というものは、この上ない仏、無上仏と言うのは、色もなく形もなくおわしましますと書いてある。我々は形を持っています。形を持っておるものを、色もなく形もない仏にさせようと言う。私の身体を消してしまうのかと言う、そういうことでなく、形のない世界を与えると言うことです。それを形のない世界ではわからないので、浄土と言うのです。
浄土と言うのは、形があるようで、形のない世界。この浄土のことを真実のいのちの世界と言うのは、みんなわからない。なぜわからないかというと、形が無いのでわからない。真実のいのち世界をみんなにもたせようと言うことなんです。
無上涅槃と言うのは、形の無い世界、真実のいのちの世界のことなんです。だから真実のいのちの世界を持つか持たないかと言うことは、どうでもよいような問題でなくて、真実の人間になるかならないかの境目だと思う。我々人間を、本当の人間にする教えです。我々を本当の人間にするという教えが、本願であります無上仏にならしめる。本当の人間にさせたいと言うのが本願であります。 |
聴法録37-2
皆さん、生きててもさしつかえないから、執着せんことです。現状維持を続けたいとか、人間はいつなんどき、どうなるかわからん、どうなっても、それをどんな境遇に堕ちてもそれを引き受けて、生き抜くと言うことが、どんなに大事なことであるかと思う。
だから、現状に執着することもいかん。どうなるかわからん、どうなっても、生きることだけ間違いないから、ただ生きているだけでなしに、人間に生まれてよかった、ということがいえて、初めて、それを成仏というのです。
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