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| 聴 法 録 372 |
聴法録372-1
私が、生まれた本当の意味は何か?
真実の生命の親を探し、会い、一つになること。
真実の生命の親とは、そこから生まれ、育てられ、帰る所。
真実の生命の親は、すべてを超越し、超越するが故に、私の内に内在する。
内在するが故に、信実の生命の親に、出会うことが出来る。
内在する真実の生命の親を、信じる程度にしたがって、真実の生命の親は、感応し現成する。親は、すべてに満ち満ちている。居ないと言うところなし。
内在する真実の生命を、唯、信じる。このことのみ。信じる程度にしたがって、内在する真実の生命の親は、感応し、現成する。信じる程度にしたがって、現れる。内在する真実の生命を、唯、信じる。人が何と言うとも、唯、これのみ。
真実の親を、呼ぶとき、我ここに居るとの答えなり。返事なり。
この呼び声を聴いていくことこそ、親との出合いである。この連続こそ真実の生命と出会っていることである。このほかのことはいらない。このことを、いかに信じるかにかかっている。体験的、経験的に知ることである。
聴法録372-2
仮のこの身体は、内在する真実の生命の私に会うために、知るためにある。
仮のこの世界は、真実の生命の世界を、知るためにある。真実の私は、永遠の生命であり、幸福であり、絶対である。内在する真実の生命に、目覚めることである。真実の生命の世界に、目覚めることである。
内在する真実の生命の私は、無量寿、無量光である。このことを唯信じるのみ。信じる程度に応じて感応し、現成する。体験的、体感的に知ることである知的に概念的に知ることではない。
仮の私から、内在する真実の生命の私へ
仮の世界から、大いなる真実の生命の世界へ
この世の中は、真実の生命にいたる道中なり。
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