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| 聴 法 録 375 |
聴法録375-1
努力
罪悪、誘惑、妄信は、内在する真実の生命の私の発達を妨げるものだ。
克己は人々を罪悪から救い、謙譲は、人々を妄信から救う。
人は欲を避け、放漫を抑え、智慧によって知識を検討しなければならぬ。人間は、ただ強い意志の働きによってのみ、私達から幸福を奪う罪悪、誘惑、妄信を避け得る。
大いなる真実の生命の国は努力でのみ得られる。大いなる真実の生命の国は私達の心の内にあるものだから、これを体外に求めるなかれと教える。この教訓は、私達が大いなる真実の生命の国に近ずくことを妨げる罪悪、誘惑妄信などに打ち勝たねばならぬことを示すものである。
地上に、完全なる安心はない。また有り得ないであろう。何故ならば、人の生涯に円満なる安全がないからだ。然し、私達は絶えずこの安全を目指して進んでいる。この安全とは一体なんであるか。これを具体的に説明することは不可能であるが、これを破棄すると、人の生涯は、恐らく無意味になものとなってしまう。生涯の全うきを望む私達は、ただひたすらに、この安全なる状態を目標として進んで行こう。
善の獲得は、人間生涯の目的である。この目的は、ただ努力することによってのみ達せられる。何事も努力なくしては成就しない。人間の生涯で、最も重要なこと事は、内在する真実の生命の私に関することである。そして、内在する真実の生命の私の発展は、さらに努力を重ねて初めて可能となる。
聴法録375-2
力の強い人と云うのは、鉄棒を飴のように曲げたり、百億、二百億の金を持っていたり、又は百万の兵力を持っていたりする人ではない。自己を自由に支配し得る人が、最も力の強い人である。
善業について、人は色々考える。「これは困難なことだ」「いつまで骨をおったて到底不可能らしい」「これは容易だ、望み次第に実行できる」また。「努力したからとて、目的が達せられるとは限らない」等々、然し、総て努力によって内在する真実の生命の私のかならず働きを強めるなら、必ず目的は達せられるのである。
真実の生命のためになる為には、何か大袈裟な行動が必要だと思う人があるがこれは甚たしい曲解だ。真の教えは、罪悪、誘惑、妄信を避けよという以外何も特別な行動を要求していない。
不幸を招く行為は、容易だが、善美な結果をなす行為は困難であり、不断の努力が必要である。
欲するままに行為する人は、深く考えず、内在する真実の生命の私に有益な正しい行動を為す人は、長く考え命がけの努力を続ける。
花に飾られ、烽敷いた滑らかな道は、善の殿堂には通じない。善の道は常にいばらに覆われ、絶壁に添っている。
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