聴  法  録  381

聴法録381-1
生涯
人間の生涯は、過去と未来の間に於いて消滅するように思われるが、これは外観だけのことだ。真の生命は、時に拘束されず常に時を超越している。

生命は時を超越する。
過去は更になく、未来は姿を見せない。では、一体私達の生涯には何があるのか。有るのは、過去と未来の接触点だけだ。この接触点は、まるで虚無の様に見えるが、ここにこそ、私達の全生命がある。時間と言うものが存在するように思われるが、実は時間は存在しないのである。用いる事によってのみ、時間の存在は感じられるのだ。その時間は、昔も今もただ一つである。
円球は、その位置の如何にかかわらず常に円い、私たちの眼は、円球の全部を見ることは出来ないが、球が回転すれば、その回転によって球の丸さを理解し得る。

この回転の生じる瞬間を時間と言えば言えるのである。然し、至高の真実の生命の前に時間はあり得ない。ただ一つの運動を起こす時間だけが存在する時間と空間とは、有限の実在が、その運動を始める為に、無限に小さく分裂したものの一片である。
真実の生命そのものには過去も未来もない。ただ現在だけがある。
この「今」の連続が即ち永遠なるものだ。


時間の空間も存在するものではない。この二つは、私達と物質界との交渉によってのみ感じられる。今日まで、私たちの眼に映じない星群や、百億年前の太陽について論じるのが人生の重要事だと考えるのは、甚だしい誤りだ。これ等は、総て智慧が時という問題に触れて発する一つのユーモアである。

聴法録381-2
瞬間はあるが、時間は存在しない。この瞬間の内に人間の生命が含まれている。私達は、だから瞬間の変化に全力を尽くすべきだ。生命は、時間を超越した彼方にある…というのに、何故、時間と空間を借りてこの世に現れるのであろうか。それは、時間と空間との接触点における運動によって力を与えられ、その完成へ進み得るからである。若し、私達の感覚に時間と空間が接触しなかったら、運動も起こり得ず、生命もあり得ないであろう。