聴  法  録  382

聴法録382-1
内在する真実の生命の生涯は時間と空間を超越している。
時間は、肉体の生涯のために存在する。然し、内在する真実の生命の生涯は常に時間を超越している。その理由は、内在する真実の生命の働きは意識の力によって現れるからだ。内在する真実の生命が時間の外にあると言うのは時間を超越した「今」のうちに存在しているからである。

私達の内在する真実の生命が身体に入り込むと、数と時と空間とに制限される。この三つのものは、自然か必然かのいずれかである。が、私達は、この内在する真実の生命無くしては、何事も考えられない。

死後の生命があるとは、到底想像できない。それは、自己が生まれ出づる以前の生命を、記憶しないのと同じことだ。内在する真実の生命は時間を超越し時間を離れた他の世界は考えることが出来ないから、私達は、自分の生きている「今」しか知っていない。時間を超越した死後の事を、知り得ぬのは当然である。

「時間が経つ」というが、時間が経つのではない。私達がその上を通過するのだ。
川に船を走らせると、岸が走るように見えるが、時間と私たちとの関係も、丁度このようなものだ。

人間の生命は、今日、明日と過ぎて行く肉体ではなく、肉と共にある内在する真実の生命、即ち、内的生命の頸現である。この生命の頸現に、終局があろうとは考えられない。

生命は現在のみである
私たちには過ぎ去ったことを記憶し、将来のことを想像する能力がある。だから種々の考慮をめぐらして、現在の行動を定める。然し、この事実は、過去を嘆き、未来に備えるという為ではない。

現在の瞬間の中に、人間は生きている。過去は知っているが、未来はどうなるかわからない。

私たちは、現在を慮らず、過去を苦しみ、未来の不安に戦く、過去は再び来たらず。未来は未だ現れたのではない。

聴法録382-2
未来を考えるのは、現在のためには妄想としか言えない。その生涯は永いが必ずしも貴重ではない。貴重なのは時間の継続でなく、時間に依らず活きることだ。時間に依らないという事は、善の実現に努力することである。こんな場合、私達の生涯に触れない。

「夕方までが、私の一生涯」という諺がある。これは、私たちは今、最後の一瞬間を過ごしつつあるのだから、急いで仕事を励まねばならない、という意味だ。と同時に私達の仕事が永久に続いて終わる時はないのだと考えねばならぬ。

時間は、私たちの前にも後にもある。然し、私達の側にはないのだ。あったことや、あらんとする事などを、とりともなく考えていると、貴重な現在を忘れてしまうから、心せよ。

時間は、さほど尊いように思われない。彼は滑るがごとく来て、又、去って行く然しこの去来には、私達の生命が含まれているのだ。このたちまち来たりたちまち消え去る。現在の中に於いてのみ私達は、天国を探すことが出来る。