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| 聴 法 録 386 |
聴法録386-1
大いなる真実の生命に近ずく最良の手段は、その熱情を、現瞬間に注ぐことだ。過去と未来とに、力を注ぐのは、大いなる真実の生命から遠ざかる所以である。
成功するという事が前途遼遠なのは、それが大事業ためでも、大いなる真実の生命がそうさせるためでもない。事業そのものに、何らかの意義を持たないからだと知るべきである。若し、大いなる真実の生命を信仰する心を持っているならば、この生涯の重要なことを認め、この現在に於いて万事を成し遂げるように努めねばならぬ。
「死を忘れるな」と言う言葉には重大な意味がある。私達が、死の事実を忘れず「いつ死ぬかも知れない」という考えを持っていたら私達の生涯は一変するであろう若し、人間が三十分後に死ぬという事を知り得たらどうであろう。馬鹿げたことや、悪事に没頭してはいらでないではないか。然し、五十年後に死ぬのだ、と考えると、人間は全く別な考えを抱くようになる。
善悪は大いなる真実の生命が定める
私達の行為の結果が、善いか悪いかを知ることは出来ない。それは無限の時間における私達の行為は、矢張り無限でなくてはならないからだ。
私達の行為の結果を、私たち自身で視ることが出来たら、行為の意義が非常に薄弱なものとなるであろう。
「将来の自分はどうなるか、予知できないようでは心細くて生きていられない」という人があるが、甚だしい。誤りだ良い生涯と言うのは、自分の肉体の運命を思い煩うことなく、ただ自己に内在する真実の生命の為に、現在何が必要であるかを考えて行動することにある。内在する真実の生命の為に、ただ一つ必要な事がある。それは自己に内在する真実の命を、全人類に内在する真実の生命と大いなる真実の生命とに融合することだ。
一切のものに心を奪われず、ただ大いなる真実の生命の意志に従って行動せよ。これこそ、人間の最良の行為である。
聴法録386-2
フランシスコ曰く「私達の行為は、現瞬間に於いては、自己のものである。然しその後どうなるかは大いなる真実の生命の心のままにある。
一切のものに心を奪われず、ただ大いなる真実の生命の意志に従って行動せよ。これこそ、人間の最良の行為である。
人間の行いの結果を考えると、あまりに貧弱なことを痛感する。然し、自分の持つ使命は、自分をこの世に遣わしたものの意志を行なうことにあるのだ、と考えれば、大きな自由と喜びとを自覚するようになる。
今までの自分の行動は、一体どんな標準によっていたろうか、と考えると、ただ自我の満足に終始していたことを痛感する。
よき生涯のために与えられる褒賞は、来世ではなく、現世に於いてである。善をなせば、人間はすぐに喜びを感じる。これが善行に対する大いなる真実の生命の褒賞である。
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