聴  法  録  388

聴法録388-1
無為
不必要な行為によって、生涯を浪費してはならぬ。人間の努力は、善生涯を送るためにのみ用うべきである。
善生涯と制欲
善生涯を送ることは、人間の最重要事である。善い生活とは、善を行なうのみならず、悪を行はぬという意味が含まれている。

人は、自己の生涯の悪さを認めて、これを非難し、その改善を叫ぶが、生涯は、依然として改善されずに悪くなる一方である。何故だろうか、改善するのに困難な事ばかり行って、改善し易い部分を忘れているのであるまいか。この点、十分注意せねばならぬ。

生涯のうちに行ってはならぬことは何と何であるかを悟るようになれば、為すべきことも自然に明瞭となってくる。「為すべきことが、急に生じた場合には、どうしたらよいか」と質すと、「何もしないに限る(即ち無為)」と賢者は答える。

内在する真実の生命の力が衰えたと感じた時は、自分を病人と思って何も為さず、沈黙を守るがよい。

一つの事を、行うか行なうまいかと躊躇する場合は、一切行動せずに沈黙するがよい。だが、確かにこれは善事だと信じる時は、直ちに行うべきである。少しの猶予もなく、あることを遂行しようと思う場合は、自分の力を過信しないのが良い。一つの事を実行するのに、少しも猶予できないと考えることは、全然虚偽ではなかろうか、そう考える所以には更に猶予しても良いという考えがあるからである。

青春を謳歌する青年男女は、自己の生涯を十分省み遺憾に思う行為が、更に百回もあったのに、実行しなかった重要事が、一つでもあれば大変恥ずかしいことである。

聴法録388-2
不謹慎の結果

行なうべからざることを行なって被る損害は、慎むべきことを慎まぬことによって被る被害と、同一の内容を持っている。

不謹慎な一つの行為は、他の不謹慎な行為を強めたり弱めたりすることがある。不謹慎が習慣性を帯びると、家屋の土台が、水に洗われるようなもので、その生涯は、家屋のようにやがて崩壊する危険がある。

総てのものに、盲目的な奉仕をすることは、奉仕をしないより悪い、又、物事をあまりに急ぐのは、遅れがちになるよりも悪いことだ。行かぬことに対しては良心の呵責はないが、更に行ったことに対しては非常に峻烈な呵責がある。
悪人の多くは、その悪行を通常の行為と思っているから、これを是正しようという希望を持っていない。

肉体に属する希望を抑えつけることが不可能だというのは、謹慎の念がたらないのである。慎みの念が稀薄になれば悪癖は次第に習慣性を帯びてくる。