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| 聴 法 録 391 |
聴法録391-1
願望する仕事を遂行するためには、現に為しつつある仕事を中止しなくてはならぬ
如何に小さいものでも、その動きは、自然のあらゆる部分に関係を持っている小石を水中に投げ込めば、僅かでも波紋を起こす。人間の精神的な生涯もこれと同じで、心の小さい動きも同時には大きな役割を持っているものだ。
言語
言葉は思想の表現である。人の和合も離反もこの使用如何によって知る。言葉の用い方如何によって知る。言葉の用い方如何によって、人は親しくもなり疎遠にもなる。愛も、憎しみも、その部分は言葉によって表すものだから、これの使用は十分慎重を期さねばならぬ。
言語は思想現わし、思想は大いなる真実の生命の力を現している。道義の立場から見た言葉には、善にも悪にも変化させることが出来るから、言語と思想とは、どうあっても調和させる必要がある
人間は、内在する真実の生命を心のうちに持っているので、言葉によって、大いなる真実の生命に近いことを表現することが出来る。このように、言語は重要な道義的内容を含むものであるから、軽率に扱ってはならぬ
時は忽ち消え失せてしまうが、発せられた言葉は永久に残る。
余裕があれば、言葉を発する前に、言って善いことと悪いことを考えよ。
もし誰かに害を及ぼし、少しでも不愉快を起こさせると感じたなら、直ちに差し控えるがよい。その発言が、利益をもたらすものと考えられた場合でも、言わずに済めばそれに越したことはない。
実考してから言葉を発すべきだ、然し、利害のはっきりしない言葉は慎んだがよい人間が動物の首位を占めているのは、思想をもち、ものがいえるからだ。若し、善悪をえらばずに、言葉を発するならば、獣よりも劣ったものとなってしまう。
長い会話や談話の後に、一体自分はどんなことを喋ったのだろうかと回想すれば、多くの、無意味なことをとめどもなく繰り返したのに驚くのである。
喋ることに吝なるは、善いことだ。問われないのに答える必要はない。
若し、問われたら快速に答えよ、知らないことを問われたら、明瞭に知らないと答えるべきだ。
怜悧なものでありたければ、智なることを問い、慎重にその答えを聞け、若し問うものがあれば、静かに穏やかに答え、何も言うことが無くなったら、直ちに沈黙せよ。学者の言葉は、注意して聞け、その品性どうあろうと、それを問う必要はない。人間は、生まれてから死ぬまで、学び続けなければならぬ。書籍であろうと、壁間の落書きであろうと、区別する必要はない。
人を無責任にほめたり、又、人と争論してはならぬ。簡単だが、ここに良い言葉がある。曰く、「私は知らない」と、汝の舌に、この言葉を常に用意しておくように命ずるがよい。
「死者に於いては唯、善事のみを言え。しからざれば沈黙せよ」という古語があるがこの言は正直ではない。「生者については唯、善事のみを言え。しからざれば沈黙せよ。」と訂正すべきであるまいか。若し、この言葉を実行に移しているなら、お互い同士の不快な言葉はぐっと減少するだろう。
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