聴  法  録  393

聴法録393-1
 「絨黙は貴いが、賢い言葉は更に貴い」と沈黙も饒舌も、時と場所による。言うべき時に黙り、黙るべき時に喋るのは、誤りに陥りやすい。

怒った時の絨黙
すべての真理を解き明かす場合には、温和と善意に輝く言葉以って語り、悪い言葉は絶対に避けよ。

未だ舌に乗らぬ言葉は黄金である。

この世に生きていくには、どうしたらよいか、ということを知り、その上、善を行なうように願うならば、先ず生涯の法則から究めてかかる必要がある。そして人々に、この法則を十分に信用させるためには、その法則を示すところうの言葉を、正しく吟味せねばならぬ。心を落ち着かせ、真理と信ずるところうを穏健に語り、善意をもって説明すべきだ。

語らんと欲するならば、先ずその正邪を考え、心が平静になり、情愛が燃え上がった時に初めてこれを語るがよい。多忙で心の平静を欠く時は、失言の恐れがある。この場合は沈黙せよ。


発した怒りが、速やかに消滅しなかった場合は、しばらく沈黙を続け、怒りが去るのを待て。争論が避け得られなかった場合は、言葉を慎み、温和と平静とを以って、明瞭に真理を語り聞かせ、相手の感情を害さないようにせよ。

争論している時は、怒りを慎め、怒りがなくなったら、直ちに議論を止めよ、こういう場合は、どうしても我念に囚われ、真理から遠ざかりやすいものだ。

聴法録393-2

争論をつつしめ

論争が激しくなってくると、堤を決壊した洪水のようになる。もう施す術がなくなってしまう。論争も言葉尻のやり取りや、毒舌を弄するようになれば、段々と収拾できなくなるものだ。争論では、何人をも承服させることは不可能だ。それのみか、双方の反感は益々深まっていく。「釘のために金槌」という諺があるが、人に忠告を与える場合も、うっかりすると、この金槌のようになり易い。ことを単に忠告の藩囲内に止まっているうちにはよいが少し激しくしてくれると、
双方ともに前後の見境がつかなくなり、頭を殴らないと気が済まないようになる丁度、頭を打たないと這入りこまぬ釘のようなものだ。

争論は、真理を忘れさせてしまう。争論を止めるものは賢人である。

争論を傍聴するのはよい、これに加はるのはよくない。又、論争している時に暴論を吐いたり、気を腐らせて声を発するのはよくない。十分慎む必要がある怒ることは、いかなる場合でも有害だ。たとへ怒ってよいときでも、これを慎め怒りは真理の光を奪い、真理に汚水をそそぎかけるものだ。

「沈黙を守れ」と言う言葉は、愚かな者の為によき誠である。愚者は、一言を発する度に塵埃を上げ、屈辱をもってし、火に薪を投ずるようなことをする。