聴  法  録  394

聴法録394-1
友人同士が打ち合わせて、お互いに裁きあうのはよいことだ。だが若し、こういう友がいない時には、自ら反省して裁くがよい。
他人を非難するのは悪い。何故ならば、非難によってその人を侮辱し易いからだ。最も良い方法は、他人の欠点を探さずに、これを忘れてしまうことだ。然し、自己の欠点に就いては、少しも遠慮せず、これを探し出して永久に忘れぬようせねばならぬ。

他人の悪事は、なるべく少なく知り、自己の欠点は出来るだけ多く知るようにせよ。そして、これを厳重に裁け。

汝を褒め、他人を罵る者の言葉には、耳を閉じよ。面罵を好むものを、面罵されることを嫌う。面と向かって讃えるものは、汝を侮辱するものだ。

他人の悪口は、誰でも喜ばせ、悪口をつくものにご馳走することさえある。
若し、本当にご馳走するような場合には、悪口を言う人にも、いはれる人にも利益があるように取り計らうべきだ。

他人が行った一つの罪を隠してやるならば、内在する真実の生命は汝の行なった二つの罪を隠して下さるに違いない。

聴法録394-2
言葉の不謹慎
弾丸を込めた拳銃を扱うときは、緊張な態度を執る人も、物を言う時には人を殺すのみでなく、殺すよりも更に悪い働きをする。

暴飲暴食、喧嘩、邪淫、殺人等に関する話を聞くと、誰しもが非常に陰惨な気持ちになる。人を非難したり、侮辱したり、悪事を働いたりすることが、あながち罪悪だとは言い切れない。然し、言葉が犯す罪は、身体が犯す罪悪は、直ちにそれと認められるが言葉で犯す罪悪は、形が無いだけに捉え難い。そして言葉は、場所と時とによってその当事者達から、常に相当の距離をもっているから、是正が至難である。

一人の悪口を言うということは、同時に三人の悪口を言う結果になる。
即ち、悪口されたもの、これを聞かされた者、そして悪口をした本人の三人である。

陰口を言うのは悪いことだ。陰口をいはれている本人がこれを聞いた場合は或は参考にもなり有益なこともあろう。然し、聞かなくてもよい、第三者が聴くと悪い感じを起すのみである。

沈黙に後悔は少ないが、叙説には益々後悔が伴う。言い放った言葉の結果を知った場合の後悔は最も深刻なものであろう。

多く語るものは、誤ること多し。

正当な意見を持ちながら、沈黙し続けた人の実力は、全く素晴らしいものだ。