聴  法  録  396

聴法録396-1
人間の生涯と思想
社会で得た真理も、独り思うによって得た真理も、共に大切にせねばならない社交場で興に乗じて得た真理は、独座再検討の必要がある。

道徳的完成に進む道は三つある。第一は実験であるが、この道程には辛労が伴う第二は、物真似によるのだが、これは簡易である。思念を凝らすことであるが、これは高尚である。

人間の運命は、思想によって左右せられ、その真為によって善悪が生ずる。

個人と社会の権勢の転換は、思想によって喚起され、やがて成就する。個人の感情と行為の状態は、思想の転換に付随するものだ。


悪の生涯を、善の生涯に変える為には、先ず悪生涯の原因を調査せねばならぬ。そして、善生涯に向かう方法を定めるべきだ。この根本の思想が進歩すれば、行為も自然に改善されていく。

甲が乙に水を分けてやるように、智の譲り合いが出来たら人間の賢愚も平均するであろう。然し、智慧は水のように簡単に分けてやることが不可能だから結局学ぶより外に智を得る方法はない。

日常遂行すべき道徳は、自分で体得することは不可能である。これは、長い間の研究と努力によってのみ得られるものだ。研究し努力することは、知識を増やし、心を練磨し、善生活を送る力を得る事でもある。善生活を得るためには、先ず善が何であるかを知り、その善を実践するように練習せねばならならぬ。


聴法録396-2

生涯が善に進んで行くのは、私達の意志によるものであり、私達が行っている平凡な生活、即ち散歩している時や、寝台に横たわっている時、又は食事中に、その真理が得られるものではない。そして「この事実に対してはこの方法で、又他の事実に対しては、こんな方法でと、それぞれの方法があるのだ。」
という声を聴くだけであろう。然し、この声に従って思想しつつ、奴隷のように努めていると、必ず良い結果を得るようになる。

更に習慣になってしまった思想は、智の働きそのものに相応した色彩を与えるという。然し、これは高尚な真理を誤らせるもとだ。習慣となった思想は、自己の所有物の如く、あたかもカタツムリが殻を背負ってはい回るように、何処までも私達についてくるものだ。
智に付き従う習慣を是正しない限り、希望の善化は不可能だ。智の善習慣は賢者の智の教えを学ぶことによって得られる。

老子曰く。「静かなるものは静かなるところに置け。未だ現れざる者はあらため戒めよ。弱小なるものは手折れられ易く、散り易い。巨大な樹木も双葉から成り、九層の高楼も一片の煉瓦から作られる。千里の旅程も一歩から始まるのだ。愚かな思想を避けよ。思想は、行為の起源であるから」