聴  法  録  409

聴法録409-1
愛と克己
自己の為に生涯を費やさないものは滅びる機会がない。これは、神(真実の生命)の為に生涯を捧げていることになるから、永久に生きている訳だ。

自己を強いて人を愛することは出来ない。ただ愛を妨げるものを避けるのが精々であろう。そして、動物的「我」に対する愛は、真の愛の発現を妨げる。


自己の生涯を、万人の生涯から切り離そうと思っても、それは不可能だ。人間は万人のために住んでいる。若し、人間が「自我」から脱し得るなら、万人と自己との間の相互関係を維持することは至難であろう。だが私たち人間は、この相互関係を保つことである手や足や眼を、密接に働かせねばならない。人間の相互的行動は、克己なくしては不可能である。

「自己を愛するように隣人を愛せ」というのは、汝が特に隣人を愛する義務を持っているという意味ではない。自己を、他人を愛する以上に愛しているのは悪いことだから、これを止める義務があるということを示すものだ。だが、自我の愛をやめると己を愛する如く隣人を愛するようになる。

言葉の上のみでなく、真実に隣人を愛そうとするならば、自我愛に堕落してはならぬ。他人に着せ、他人に食わせ、他人に住まわせることは忘れ易いが、自己の衣食住は誰も忘れない。他人を素直に愛するなら、自分の衣を脱いで、裸の人に着せ、飢えたる人に自分の持ち物を与え、自分の家を、家なき人に与えるようにせよ

人と交わる時は、自己を忘れて、相手の幸福を喪心から祈るようにせよ。

人と対話する時に、自己のことのみ考えていると、話の内容が空虚になる。自我の念を放棄すれば、人と親交を結べるだけでなく、有益な援助が得られる。

外見が裕福でも、生活がおごっていると、克己からは遠ざかる。由来、富者は克己に縁が遠く、貧者は近づいている。貧者は、働く余暇にも隣人の苦痛に同情する。又、一片のパンを乞食に恵むことを忘れない。富者は、その富の中から百万金を隣人に施して得意になるが、心に喜びを感じない。貧者は、一片のパンを与えるにも苦しむが、心に喜びに溢れているのだ。

他人に喜んで恵んだものは、永久に自己のものであり、惜しみながら与えたものは全く他人のものとなってしまう。自己に必要なものを割いて他人に恵むのは、正しく善事である。この行為は、何物も奪い取ることは出来ぬ。自己の持つものを、他人が欲くした場合は、惜しまず与えたがよい。その品物は、よし保存していたとて、それは一時的のことで、早晩離す時が来るのである。

人のために生命を犠牲にすることが、戦場で生命を捨てるように容易になる日が来るに違いないと私は信じている。この時に備えるために、人々の精神の高揚と浄化が必要である。