聴  法  録  419

聴法録419-1
傲慢と戦いを交えよ
自分は他人より善であり、良い点を持っているという悪い考えをさけよ。他人より優れているという念慮は総ての善行を無価値にしてしまうものだ。

心の底から謙遜することは至難である。他人から軽視されるだけでも不満なのに、他人の前に好んで己を低くすることは、却々困難だ。私達は、何とかしてこの困難を隠そうとする。若し、私達が真の悪人だったらどうだろう。謙譲も温柔もあったものではない。然し、私達は自分が悪人たるを欲くしていない。真心で謙遜することが如何に困難であろうとも謙遜は不可能事ではないから、邪魔になるものの一切を駆逐して、この実行に努めようではないか。


他人の欠点を認めると不愉快を感じて、これを堪忍するには相当骨が折れる。然し自分の欠点は平気で、少しも不愉快を感じない。私はある人が他人の悪口を言うのを聴いたことがある。その吐く言葉は、そのままその当人に相応したものであったが、彼はそんなことは気がつかないのである。
他人の欠点を見て、自分の欠点を知り、これを是正するようにしたら計り難いほどの利益があろう。自己の欠点を客観するようにしたならば、私達は、どんなに自分を憎む事であろう。

徳の完成のためには、自己満足ほど有害なものはない。私達が自己の是正を企てて改善を始めると、最初は少しも効果がないように思える。丁度大海に一滴の水を加えたようだが、忍耐して続けているうちには、改善の効果が徐々に目についてくるようになる。
若し努力を重ねても、効果が捗々しくない場合は、必ず何処かに誤診があるのだ。諦めずに、よく検討して続けるがよい。

自己を善なるものと考えてはならぬ。自分の悪いところに気付かないのは、更に一つの悪を加えることである。

自己の行為を弁護する為に、自分と他人とを比較することは、善生涯の害になる。徳を拡充する大いなる妨げとなる。若し、強いて自己を他の者と比較したいなら、完全円満なる至上のものと比較せよ。何故ならば、他人は自分よりも低い場合があって、決して標準とはならないからだ。

謙譲でありたいと願うならば、先ず、独座瞑想のうちに、心中深く傲慢が潜んでいるかどうかを調べよ。

汝を罵り批難するものがあれば、喜んでよい。然し、汝を褒め称えるものがあればこれは警戒せねばならぬ。

汝を軽視するものがあろうとも、恐れてはならぬ。軽蔑に報いるに謙譲を以ってしたならば、汝は精神的の慰籍を得て、十分に幸福を味うことが出来る。


恥づべき自己の罪悪を、他人の気付かない暗黒な場所に隠さないようにせよ。そして、他人の罪悪を非難しょうとする時に、この罪悪を引き出して調べて見よ。

自分は未だ学生であると、常に考えよ。また学問をするために、自分は余りにも老年だと思はないようにせよ。自分は善となり得るだけなったのだ、これ以上は困難だと思うことは避けねばならぬ。智者のための修養の卒業期はないのだ。賢者は、墓穴に入るまで学生だと思っている。

心の貧しい人は真理を得て、謙譲な人は嫉妬の的とはならぬ。樹木は、洪水に流されるが、葦は流されぬ。ある賢者は「我が子よ。汝を尊敬する者がないからとて、決して落胆するな。何人にも汝のなしたことは奪い得ぬ。また汝が為さなかったことを、為したとは思わぬからだ・‥‥」といっている。賢者は自分にふさわしくない悪い境遇にも満足している。総て、よい人、愛ある人、友情厚き人、万人の福利を計る人であれ、そして、水が低きにつくように、常に低いところに生活せよ。