聴  法  録  421

聴法録421-1
謙譲は真実の生命の良友であるが、誘惑の敵である
喜んで行う謙遜ほど高い徳はない。干ばつ後の慈雨が空気を一新するように、謙遜は高慢を叩きつけて、人の心を明朗にする。

真理と幸福の殿堂の入り口は狭い。この入り口を通ろうとするものは頭をかがめ、身体をちじめなければならぬ。然し、一歩殿堂に足を入れると、広く自由で、互いに愛し合い援け合って、少しも悲しみを知らない。ここに殿堂というのは、人間の生涯のことであって、その入り口は道徳である。道徳は、自らを卑しくする謙譲なるもののみ達し得る最高の位置である。


アツシズの聖フランシスコの言葉に、「完全な喜びは、罪なくして苦しめられ、窮迫に逢い、身体は苦痛に沈もうとも、反抗心を抱かないところにある。この喜びは、如何なるものも奪うことは出来ない。」というのである。

凡そ自らを高くするものは卑しめられ、自らを卑しくするものは高く上げられん。


宇宙のうちで、最も弱いものは、最も強いものに勝ち、自らを譲るものは、傲慢なものに優る。だが、謙譲の価値を知る者は甚だ少ない。これは老子の言葉である。


自ら高くする人の力は弱く、自ら卑しくする人の力は強く、、その上に永続する。

水の如く軟らかくして、譲るものはないが、彼は堅いものに勝ち、強いものを砕く、蓋し、弱いものは、強いものを制し、軟らかいものは、堅いものを破る。謙遜は傲慢に勝ち得るが世人はこれを知らない。‥‥これも老子の言葉である。

河川は海に流れ込む。だから、大海はどんな小さな川よりも低いところにある。

聖人は民の上にあることを願はず、その下に甘んじている。彼は、常に民衆の後方で彼らに接している。若し、彼が民衆の上に在ったとしても、彼等は少しも苦しみを感じないのだ。聖人は誰とも争わないから、彼を敵とする者は一人もいない。

水は、軟らくて素直である。然し、水が硬いものに出逢った場合は、どんなものでも打ち砕いてしまう。水は家屋を崩し、巨船を翻弄し、他を穿って水路を作る。空気は水よりも軟らかく譲り易いが、更に強い。彼は、巨木を根こそぎにし、家屋を押し倒し、海に大波を起こし、雨雲を逐いまくる。
軟らくて弱いものは、弱いものほど強い。人間の生涯もこの如くである。多数に優れようと思うならば、常に軟く、譲り易くあれ強者たらんと欲するなら、水のようになるがよい。水の流れに邪魔者はない。
堤防が水流を遮ると一時は止まれるが、やがてその力は堤防を崩壊して押し流す器が四角なら、四角になり、円ければ円くなる。然し、その力は石を砕き、山を洗う