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| 聴 法 録 428 |
聴法録428-1
人智
自己の智慧を過信して、却ってそれを隠蔽するようなことがあってはならない。智による判断は真実であるから、一般信仰の基礎とするに適当である。若し、この基礎を薄弱にし、その意義を狭小にしたならば、神(真実の生命)に対する信仰心は稀薄になってしまう。人間の持つ知恵は、神(真実の生命)の啓示を理解する機関である。この知恵を正しく使用し宗教の説く要点が、私達の智慧の真髄に協かどうか調べ、その正しいものをとり、不正をさけねばならぬ。私達の持つ正しい智慧は、神(真実の生命)より出で神(真実の生命)の意志を具体化するものであるから、私達は、これを信じて損なわぬ義務があるのである。
智慧が人間に与えられているのは、神(真実の生命)と隣人を愛するように教えるためだけではない。理外の理ともいうべき愛が、特に人間の心に培はれていることを示すのである智あるがために、人は説教の正否を判断し得る。たとえ他人が虚偽や誤診を説いてもそれに対して心を空しくしていれば、総てに於いて真実に導かれていくのである
人間が真理を探し求めながら、誤診に陥り、矛盾した生涯に苦しめられているのは智慧に対する信頼が稀薄だからである。智を遠ざけていると、風習、遺伝、流行、迷妄、圧制などに誘惑されてしまう。若し、人の生涯が他の影響なしで済むなら、智は私達を離れて、空虚が生じ、そこに排除すべき思想が侵入してくる。その結果は真理の探究は忘れられて、風習、遺伝、流行、妄信、偏見などが姑息するようになるであろう。真理の探究途上に於いて、誤診や異論に迷うのは、智の力を過小にし真理を探し求めるが単独では不可能であると諦めるからである。
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