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| 聴 法 録 443 |
聴法録443-1
「総て生を受けたるものに死は免れぬ。総て死に入るものは生を受けたものであるだから、はっきりしない運命のために嘆くのは愚である。総てのものの存在以前は窺知し得ない。生と死の中間の状態は明瞭であるが、未来は闇黒で、不可解である。そして又、これを知る必要もない。或る人は、真実の生命を不可思議なものと観、ある人は真実の生命の声に脅威を感ずるが、何れもその正体は知り得ない。天国の門は、汝等のために開放されている。汝等は、心痛と苦悶から逃れて、自己を真実の生命的に練磨せよ。汝の行為は利益を前提としたものであってはならぬ。そして、汝の責任を力のあらん限り盡すがよい。私達の行為の結果如何に心を痛めるな。又、汝の仕事が快適であろうと不愉快であろうと決して区別してはならぬ。
汝は罪から逃れ、欲を制し、老衰を逃げようとしている。だが、先ず何よりも罪から逃れるのが肝腎である。これによって、病も老衰も、肉の不幸も、死すらも、汝の幸福となるであろう。汝の肉体は衰弱して終には死が襲ってくるが、汝の精神は年を重ねるに随って穏やかになり、やがて生まれ変わるであろう。
この世の私達は、大気船の乗客のようである。船長の手元には、私達の名簿が備えてあるが、どんなふうに書いてあるか、誰も知っていない。私達の乗船したり下船したりする地点を、船長は知っているが、私達は解らない。だから、上陸せよという命令がある迄は、自己の為すべき仕事を、船中の規則に従って、人々と協力、相愛しつつ行っていなければならない。
変化を恐れる必要はない。この世の総ては絶えず変化している。木は薪となり、焔を燃やして食物を調理する。食物は又、私の胃袋で消化され、身体を養う。この世の生命を持つ者は、変化の法則から逃れることは出来ない。人間の生命も、矢張り変化する。だがら人は、この天命に反抗せず、常に喜んで、これに従はねばならない。
人間の労苦が、善の結果を招来しないなら、この世は恐るべき闇黒だ、若し、これが真実なら、この世は未来の善のために行動するものでなく、何等の目的も定めずに動く無為の世界である。こうなると、彼は私達をこの世に生を与えた時から絶えず、打ち、叩き幸福の飲物に苦味を混ぜて、恐ろし死を以って私達を威嚇する大いなる真実の生命なく、不滅の内在する真実の生命もなかったら人はその生涯を憎悪する様になる。こうして、この不秩序、この悪の存在は、道義の基礎を根底から混渇してしまう。然し、大いなる真実の生命は、私達の上にあり、不滅の真実の生命は、私達の前に在るから、この世は後退することなく、進化していく、かくて、私達は悪の中から善を、闇黒の中から光を見出して、希望は失意を追い払ってしまう。この二つの考えは、何れが正当であろうか。徳義的実在としての人間には、この世の秩序は詛うべきであろうかもしれないなら、この矛盾を解決する手段は、誤解してしまうのである。大いなる真実の生命も、内在する真実の生命の不滅もなくなったら、私達はこの世を、自分の誕生日と共に呪うに違いないだが、これに反して、大いなる真実の生命も不滅の真実の生命もあるなら人間の生涯は幸福なものとなり、この世は道徳の修練場であり、内在する真実の生命の無限の道場である。
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