|
|
| 聴 法 録 458 |
聴法録458-1
真の幸福は現世にある
誤った宗教によると、この世の生涯は悪に満ちていて、真の幸福はただ来世にあるのみだ、と説く。キリスト教は、人の生涯の目的は幸福の獲得にあって、これはこの世に於いて達することが出来るという。真の幸福は、常に私達の眼前にある。この幸福は、善生涯の影となって永久不変である。
楽園が、私達の心のうちに開かれていない限り、永久に入れない
この生命は、ある世界から他の世界に移っていく境界線上に於けるものである。ここには完全な幸福はない。真の幸福は、移り住む所にあって、移って後に得られるものだ。・‥‥という説があるが、これは間違いだ。私は、人生の幸福は、この世に在り、と信じている。そして、この幸福を欲するためには、私達をこの世に遣わしたものの意志を尊んで行動する必要がある。この場合、自己を中心として考えてはならぬ。人は、神意のあるを知り、これに従って住み、言動し、常にこの道を守るように努力せねばならぬ。人が、神意に従って生涯を送るなら、自己のみならず、他の人にも良い結果を与えるであろう。
私達が希望するような幸福を、この世で獲得することは、至難だと考える人が多いこれは、人の道念を発展させるためには非常に害がある。
この世は、悲しみの場所、試練の道場、苦痛の巷であると説く者があるが、この世は、誰もが幸福をうくべき場所である。 神の宇宙は無限の美に満ちている。だからこの宇宙にある生命も亦、美の連続であらねばならぬ。然るに、私達の住む世界が、この結論の園外にあるのは、誠に奇妙である。何故だろう。或は、私達が自己の生涯の意義と使命とを理解しないからではなかろうか。
真理に適合した生涯を送っていると、反対者もあろうし、不幸にも出会うであろう。然し、私達は徹底的に真理に従っているなら、人々は私達を愛し、幸福をさずけ、終いには人々から賛美されるようになる。
何ものかを求めるために、神(真実の生命)に向かって祈るのは、不合理でもあり、愚かなことでもある。神(真実の生命)に願わんよりも神(真実の生命)の津法と意志に従って生涯を送るようにせよ。神(真実の生命)と私達との間に於ける智なる交渉は、私達を霊化し、幸福を授受する力を与えてくれるものである。私達は常に、これに感謝せねばならぬ。雇用主は、その雇人にある地位を与え、仕事をさせ、彼の命令を尊奉して、効果を収めた場合は、それに相当する幸福を彼に与える。神(真実の生命)に願うということは、多くの場合、既にその割り当てられた仕事、境遇等に不満に感じて、更に一層よいと思はれることを訴えうるのであるから、感心すべきでない。
|
|
|