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| 聴 法 録 464 |
聴法録464-1
幸福は愛が生む
幸福を得るためには、「全人類を差別なく隣人の如く愛せよ」という教えを守らねばならぬ。更に、悪人をも善人の如く愛せよ。愛に差別や隙間があってはならない。断続する愛は、真の幸福をもたらすものではない。
私達は、何の為に生きているのか、全く知り得ないから、幸福への希望を持たない人には、如何なる行為がこのために必要であるか解らないであろう。従って、私達の生きている意義も知らず、生きている甲斐もないであろう。だが、幸福を得ようという希望は、私達の為すべきことを、明示してくれる。若し、私達が自己の生涯を、動物的のものとせず、内在する真実のいのちが、存在に相応しいものとするならばその希望は自ら幸福に向かって行き、愛に専念するようになる。
神が善なるものであり、宇宙の創造者であるなら、必ず、人間にふさわしいものとして、宇宙を造ったであろう。
神が、若し、存在しなかったら、果たして私達は、自分の心に叶うように生活出来るであろうか。私達の心に叶うものとは、実に愛のみである。私達は、この愛を潤沢に持たなくてはならぬ。そして、神は愛そのものであるから、私達が愛に満ちていれば、自然に神に合体してしまうのである。
私達の生命は、私達のものとは言い切れない。だから、私達の生命の目的は、幸福であるとも言えないのである。然らば、生命の目的は何であろうか、それは、私達に生命を与えたものの要求を満たすことである。その要求は、すべてのものを愛することだ。で、結局、愛することが、私達の幸福になる。
人間は、生まれてから死ぬまで、ただ自己のみ善であれかしと総てのものを求めるこの要求が、神と人とに対する愛いであるなら、それによって私達は満足を得るであろう。
「気に入らぬ人を愛することが出来るだろうか」と人々は言うが、これは誤っているだが、この誤りは、言葉で訂正する必要はない。ただ嫌な人を愛してみれば、その考えが間違っていたことが直ぐ理解できる。
人間の将来を、漠然と眺めると、死と義務の外にはなにも無い。若し、これだけが、人生の究極であったら、人生とはなんと恐ろしく、悲しいものであろう。然し、善という基礎に自己の生命を定めて将来を眺めて見よ。神と人とに対する善の念が、茲に現れて、総ての恐怖は喜びに変り、不可能と思った幸福が把握出来るだろう
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