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| 聴 法 録 467 |
聴法録467-1
生命の法則を無視するものに幸福はない
出来るだけ多くの善を、隣人に行いたいと思う人があった。彼は、どんな事をしたら他人の利益になるだろうか。どう行動したら他人を侮辱せずに済むかについて熟考したのである。「他人に何かを送る時には、第三者を煩わさず、直接に手渡したら、誰にも解らないで、後日の苦情も起こるまい。若し、後になって適当でなかったと思う場合が起きたら、人知れず補ってやることも出来る。」
ある人は、人の集まる所を選んで広大な集会場を立て、その内庭に誰にも必要な物品を集め、客間には暖炉を設け、立派な照明装置を施し、様々なる穀物、野菜、果物等を倉庫に詰め込み、更に別室には寝台、長椅子、衣類、下着、履物等を揃えてから、飄然と何処かへ立ち去ってしまった。
者好きな人々は、この家がどうなるかと、好奇心を持って眺めていた。やがて、多くの人が、この家に次第に集まるようになった。そして、食料も衣類も、彼等に利用されて、泊り込む人も出てくるようになった
我も我もと集まってくる彼等は、誰だかわからないこの集会所の建設者に対して感謝の念を抱き始めたのである。ある時、この集会所に、貪欲な人間がやって来た。そして多くのものを掻き集めて持ち去ろうとしたが彼等は黙っていない。忽ち貪欲な人との間に、喧嘩が始まった。
始め、彼等は口先で争っていたが、彼等は黙っていない。忽ち貪欲な人との間に、喧嘩が始まった。初め、彼等は口先で争っていたが終には腕力となった。こうなると最早、事態は収拾できなくなり、室内の物品や食料は無茶苦茶に荒らされてしまったのである。泊まっていた人々は寒さと飢えに悩まねばならなくなった。すると、彼らのうちの或るものは、「これだけの設備をする人が、どうしてここに番人を置いたり、物資補充の方法を講じなかったのであろう。そうすればこんな結果にはならなかったのだ。」と言い出したので、民衆も不平を吐きながら、集会所を去って行った。・・・・・という話がある。
真実の生命のために生きることを考えない人たちが集まると、こんな事がまま起こるものだ。彼等は、財宝の奪い合いは愚か、切りあい、殺し合い終りには、至善なる神をも誹謗するようになる。真実の生命の人となるか、ならぬかは、神を認めるか、認めぬかによって定まる。
真実の生命を認めず、神を信じない人は、この世の事は、自分たちだけの力でどうでもなるものだと思っているのである。
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