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| 聴 法 録 469 |
聴法録469-1
善を以って悪に報いよ
刑場に到りてイエスを十字架につけ、又、悪人の一人をその右に、一人をその左につけぬ。これを見てイエス言い給う。父よ、彼等を許したまへ。彼等その為す所知らざりしが故なり。
幸福を得るための動きなら、どんなに辛くとも、誰も苦情は言わぬであろう。人間がかち得る最大の幸福とは、智が示す法則に従って善を行なうことである。この法則は、少しの休みもなく隣人に愛を行なうことを人間に命じる。この善行にこそ、最大の幸福が含まれているのである
善を以って悪に答えよ
温柔を持って怒れる者に、善を以って悪を行なう者に、高価なるものを以って吝嗇漢に、真実を以って嘘言者に報いよ。
与えられたことに相当するお礼だけでは、尚不足である。彼よりも更に善だと思うことを、彼に与えることは、総てを善化する。
悪に報いるために善を行なっていると、悪を行なった人の心中に湧き上がる悪の優悦を打ち消すことが出来る。悪に対して善を行なった喜びを、一回でも体験することは、善行の機会を更に増す原因である。
善行によって得る喜び
汝の日月を善行で飾るようにせよ。
汝が送る歳月を最もよい記念ならしめるために、汝は朝、眼を覚ます時、ただ一人でも多く善を行なうように工夫せよ。
善行は、私達の責任である。この責任を痛感して善行に努めるなら、善行は大いなる喜びとなろう。「隣人を愛すること己の如くせよ」という教えは、先ず自己を愛し、その結果として隣人を愛せよという意味ではない。人は隣人を愛する責任を持っているから、これを行はねばならぬ。人は生まれながらに持っている善心は、機会あるごとにその心中に愛の燈火を点じて、その善行の行手を照らす。
家庭に於いては成功した人であろうとも、真実のいのちの生涯に成功するとは限らない。未来の世で善人と仰がれるほどの者は、家庭の生活に於いても成功した人であろう。
善を行なう機会を探すこと、猟師が獲物を探す如くせよ。そして、善行の機会を逃さぬよう常に戒心せよ。
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