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              聴  法  録  47

聴法録47-1

「南無阿弥陀仏」というのは、南無阿弥陀仏という仏さんがあるのでなくて、我々を真実のいのち、形の無い世界を分からせるのに媒介と申しますか、その仲立ちをするはたらきをするものが、南無阿弥陀仏である。そうすると、弥陀の誓願と言うものは、我々を真実のいのちの世界へ送り届ける。そういうはたらきをするものが弥陀の誓願が大切だという理由が分かるのだろうと思います。

また、救いと言うのは何かと言うとはたらきそのものによって生かされて生きている私だったと言うことが救いだと、こういうことです
ですから、それが救いだと言うことになると、病気が治るとか、あるいは、家庭が円満に行くとか、そういう問題が本当の救いでないと言うことも了解されるのでないかと、思います。
聴法録47-2

「誓願不思議」不思議と言うのは、はたらきそのものが不思議なのです。で、ここに集まられた方々は、色々な方々がおりますけれども、皆それぞれ違ったものがここに居ると言うことが、非常に不思議だと思われます。不思議と言うのは、当たり前のことが実に不思議なのです。

この私と言う人間が存在しているのも不思議だし、一切のものが存在していると言うことが、実に不思議である。当たり前のことが不思議なんだと、そういう当たり前のことを当たり前とせずして、そこに驚きを立てると言うことが、真実の生き方でないかと思うのです。