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| 聴 法 録 48 |
聴法録48-1
本当は、本来皆たすかっておるのだ。助かっておると言うことは、真実のいのちのはたらきによって、生かされて生きているのだから、皆たすかっておるのだ、けれども助かっておるのだけれども、助かっておると皆が思わんと言うところうに、問題があると思うのです。
だから「念仏申さんと思い立つ心の起る時」念仏もうさんでも、皆たすかっておるのです。それを再認識すると言うのが念仏のはたらきだと思う。
タスカッテミレバ
タスカルコトモイラナカッタ
といわれずはずだ。
もともと助かっておるのです。助かっているのを、助かっておらんと思って、あらぬ方を探しているのを、迷いと言うのではないかと思う。この助かっていると言うことに気が付くと言うことが、大事なんです。これが念仏のはたらきであろうと思う。
私は、宇宙が真実のいのちに満ち満ちていると思う。太陽は太陽として真実のいのちのはたらきをしとるし、松は松として真実のいのちのはたらきをしている、そういうふうに一切は、真実のいのちのはたらきをしとる。だから教えを聴くだけでなくて、日常生活の中に一切のものが真実のいのちのはたらきをしとると、こう気づくことが大事なので、気付くために仏法を聴く、と。仏法と日常生活と別になっていては、これは仏法でもなんでもないのではないかと思う
仏法を聴くことによって、日常生活の中に真実のいのちが生きとるなと、こういうことを感じると言うことが、大事ではないかと思う。
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聴法録48-2
大行と言うのは、人間を超えているはたらきです。行と言うのは、はたらきなんですけれども、人間を超えたはたらきである。我々のやる行というのは、たいしたことではないので、人間を超えたはたらきであると言うのを、大行という。そうすると、存在する一切のものは、人間のはたらきを超えているので大行と言える。
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