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| 聴 法 録 49 |
聴法録49-1
仏法を聴いているとどうなるかと言うと、絶対的生活が出来る、人をうらやまない、自分は自分でよかったと。こういう生活が出来るのは、絶対的生活と言うもので、それこそ仏法と言うものが与えてくれる功徳であろうと思う。皆相対的生活をしている。他をうらやむものは、相対的生活をしている。ないものねだりというもの、自分の性格にそれがないから、それがあってほしいと思う。
そういうように自分にないものねだりをやっておると、自分に与えられておる物に気が付かない。ということがあるのです。それが非常に大事なことだと思う。その問題は、誰にでもある問題である。ないものねだりをやっていると、自分に与えられているものまで見えなくなってしまう。
その相対的生活から絶対的生活をするかどうか。その絶対的生活とは「自分が自分に生まれてよかった」とこういう生活を絶対的生活と言う。
コンプレックスと言うのは、相対的生活をしたいと言うところから生まれてくるので、仏法と言うのは、そういうコンプレックスをどうして除くかと言うと、「私が私に生まれてよかった」という絶対的生活が出来る。
皆、あのようになりたいとか、このようになりたいとかいうのを迷いと言うので、それが相対的生活であって、自分は、このままで結構だとこう自分に落ち着くことが出来るのが絶対的生活と言う。
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聴法録49-2
犬や猫も生かされている。生かされて生きている。草や木も生かされて生きている。しかし彼らはそれを知ることが出来ない。人間だけがそれを知ることが出来る。それで、これが分かって初めて人間になれる。だから生かされて生きておる。つまり、真実のいのちの働きを知ると言うことが、人間を人間足らしめる最大唯一の条件と言っていい。
皆、娑婆のことばかり考えておりますけれども、仏法はどういうことを教えているかと言うと、我々は、自分の力で生きているのでない、生かされて生きているのだと。そのことが分かると言うことが、一番大事なことです。
誰でも、人間に生まれたものなら、誰でもこれが自分のものになるようにしなければならない。そこに阿弥陀仏が出なければならない理由があると思われる。
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