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| 聴 法 録 50 |
聴法録50-1
生きているからこそ、肉体を持っているからこそ、我が身が可愛いと言う心があって、我執が働いて人を傷つけ、自分を傷つけるのですけれど、それはやはり、真実のいのちのはたらきが分からんとあかんのだと思う。はたらきそのものによって、生かされて生きとる、瞬間どうなるかわからないけれども、身体はとにかく一生懸命生きとるのです。
息の出る間だけは、一生懸命生きとる、私が寝ておっても、身体は一生懸命生きとる。ところが、それに宿っている心が、我執ばかりでありますと、身体にまかしておらんと言うことがあると思う。
我執の限界が分かると言うのが、仏法を聴いた功徳と言うものであろう、我執と言うものには限界があると言うことを、教えられるのであろうと思う。その時初めてまかせきらんでも、我執が出たなと言うことが分かるだけで、救いと言うものがあるんだろうと思う。
我執を全然なくすると言うことは、人間としてできる者でない出来るものでないが、「また我執が出たな」と気づくことだけは、出来るのであろうと思うのです。
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