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| 聴 法 録 53 |
聴法録53-1
「本来自分は救われておるな」‥‥今あらためて救われるのでなくて、本来救われておったのだ、救われておったに気づかなんだ、ただ気づかしめられるだけであると、こういうことです。真実のいのちをいただくと言うのも、本来救われておったと言うことに気づかしめられると言うこと。
真実のいのちのはたらきの中に我々は生かされている。真実のいのちなんかもらった覚えがないと、こうおっしゃるかもしらないけれども、太陽が出、月が出、昼があり夜があり、空気が与えられ、水が与えられる。これはもう人間を超えた真実のいのちのはたらきによって与えられるもので、真実のいのちの中に我々が生きていることは間違いない。
この真実のいのちのはたらきの世界を真実の世界と言うので、真実の世界の中に、生かされておることだけは間違いありません。もし大悲と言うことを悲しいととれば、真実の世界の中に生かされているにもかかわらず、それを知らずに自分の力で生きているように思っている愚か者、その愚か者の存在が悲しいと言われるのが、真実のいのちの大悲かもしれない。
誰にでも平等に空気が与えられ、太陽の光が与えられている。にもかかわらずそれを当たり前にして、自分の力で生きておるようにうぬぼれている、そういう者がかわいそうだと言うのが、真実のいのちの大悲かもしれない。しかし、真実のいのちの大悲に気づいて、真実のいのちの大悲の中に生かされている自分であったと、こういうことがまことにありがたい、そういうのが真実のいのちの大悲をいただいておった。確かに真実のいのちの大悲をいただきました。真実の世界に生かされている私でありましたと言う感謝で生きることが出来ます。
ワタシハ
コノママデヨカッタ
タスカッテミレバ
タスカルコトモイラナカッタ
今病気であれば、病気がよくなることが助かることだと
こう思っておったら
病気のまんまが、すでにたすかっておると
こういうことですね。
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