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| 聴 法 録 54 |
聴法録54-1
真実のいのちに同化するとは、真実のいのちと一体となる、と言うことである。真実のいのちと一体となるとはどういう事か?
これは、無為自然である、と言うことに他ならない。
空気が空気であり、水は水であり、鳥は鳥、獣は獣、人間は人間として、その本性に従い、そのまま、ありのまま、と言う事であろう。鳥は鳥の本性に従って鳥を生き、人は人の本性に従って人を生きる。人が、人の本性を捨てて、獣の本性を生きることは、人の本性に背き、人の本性に決して喜ばれず、人の本性を知ることも、当然それを楽しむこともできないだろう。
これは、徳であれ、同じことであり、そのものと同化(一体化)してしまえば、それそのものを楽しむことが出来るのである。
例えば、バラと一体化できれば、バラそのものを楽しむことが出来るように、
バラの方も、そういう人を得られること(出会えること)はきっと楽しいことであるに違いない。
これらのこと、信じきれないものは、この同じ世に生きて、見える者を見ず、聴こえる言葉をも聞かない、そこには、ただ信じないと言うことがあるだけ‥‥そういうことになるのではないだろうか。
私は私であり、あなたはあなたである。
而して私はあなたであり、あなたは私である。
私は人を生き、バラは花を生きている。
而して、私は花を生き、バラは人を生きる。
何ぞ、楽しからずや!
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聴法録54-2
部分をつかむことも大切でありますが、全体をつかむことはもっと大切であります。何故なら、我々が知り得る部分をどれほど継ぎ足しても決して全体にならないからです。全体は我々が知り得る部分のすべてを包含して、なおそれ以上のものであることを忘れてはならないでしょう。
見えないもの、聴こえないもの、それらは決して「無い」のではありません。
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