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| 聴 法 録 64 |
聴法録64-1
真実のいのちの真実とすべきは、永遠に変わらないという様な、又、これが真実のいのちだという様ものではない。
この様に、名と言うものも、永遠不変と言える様なものではない。
混沌としてなにも無かった天地の初めを「無」と名づけ、
万物を生じる生みの働きをする母を「有」と名づけた。
故に常に無は、形の無い事を以って天地の働きの深遠微妙をしめそうとし、常に有は、形を顕してその生滅流転をしめそうとする。
この両者は、同じなのだが、現象として変化する為に名前を異にする。
同様に、これを微妙で奥深いものとして玄と言う。
微妙にして測り難いこの根源的な大元は、すべてを生じる門である。
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聴法録64-2
無から有を生じると言うと、線的な動きを想像するかも知れないが、決してそうではなく、無と有は円環を為していて初めも終わりも無いものである。同じものが、その状態の変化によって、名前や形を変えて存在する。
生と言い、死と言うも、それらは、一時の状態の変化に過ぎない。
「般若心経」の「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」と言うことと同じことをここで述べているのである。
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