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| 聴 法 録 67 |
聴法録67-1
天下の人が皆、美を美として知れば、これが醜さを知ることになってそこに差別が生じる。これは悪である。皆が善は善であることを知れば、そこに不善が生じる。つまり、善が無ければ不善もまたないのである。この様に、有無、難易、長短、など相対立するものが生じ、高下があるから傾きがあり、音(楽音)と声は共に相和し、前がある故に後がそれに従うことになる。
この様な事を熟知している故に、聖人と言われる人は、私意作為等の技巧を捨てて自然の働きに任せる(無為)事をその行為の根本におき、又、その時その場のあり様をそのまま自然に語らせる事を以って強化する。
万物を生じながら、それを支配せず、自分のものとする事も無く、
そうしたからといってそれに恃むと言うことも無く、万物を育成した
からといって、そこに居るという様なことも無い。これは、ただ居ないのであり、だからと言って去ると言う事でもない。
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聴法録67-2
普通、私達は常に二つの相対立する概念で物事を考え、杷握し、
イメージ化して理解しようとする。大切な事は、この二者対立の
世界こそ様々な価値観を生み出すと同時に、人と人との間に対立を生じ物事をありのままに見る目を妨げるものに他ならないと言う事をこの教えから学ぶことではなかろうか?
「真実のいのち」と言うものは、居る、居ない、という様な二元的対立のせかいのものではない。だからそこに居ないと言ったからといって、そこを去ったという様なものでもない。
「真実のいのち」とはそういうものなのである。
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