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| 聴 法 録 7 |
聴法録7−1
真実のいのちは、永遠の生命、光明、慈悲であり、虚空と同体なり、虚空と同体なるが故に、住するところなし、ただ衆生の心想の内に住したまう私の幸福のために、一体化しようとして、私の内に内在する。真実のいのちを、私に与えようとして与えることによって、私が幸福になる。このことは、親が子に対する願いである。そのことを信じる程度によって真実なる命が現成する。本当の幸福は、真実なるいのちの内在を信じることであり。現成をゆるすことであり。現成するためには、自分中心の生き方を、内在する真実のいのちを中心にした、生き方に変えることである。
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聴法録7−2
信じるという事は
何かが見えてくる「目覚めてくる」と言う事ですが、目覚める、何かが見えてくるということは、人格的には、何かがどこかで変わっていくことだと思う。変わるという事は、皮が取れてそうして何か、内なるものが育ってくる。こう膨らんで、成長していくということだと思う。信じるという事は、見えてくる、わかってくることである。そのわかってくる、見えてくるというのは、何らかの意味で、人間変革が生まれてくることで、皮を脱ぎ、そして成長していくという。そういう一連の私の生き様に、影響をもたらしてくるものである。すなわち、人格の根本を育てていくというものが、信心の本質だと思う。
信心という時に、とかく私たちは、神様、或いは、仏様と私というふうに、二元的に捉え勝ちですが、私を離れて、私の外に、二元的に捉えられるべきものではない。
「もし対象的に仏を見るというごときならば仏法は、魔法である。」
まことの信心とは
限りなく遠い存在であり
けっして
私にあるはずのない
仏に
いまここで
私において出合う
発見する
その出合いが真実の体験 |
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