本文へジャンプ
              聴  法  録  71

聴法録71-1

中身を空っぽにすることの極致にして、静澄さをひたすら守る。
万物は同じように生じているけれども、私は、それらが元へ戻ることを観る。

草木や花は生い茂っているけれども、又その根に戻る。
根にかえることを静という。
これをいのちに戻ると言う。


こういう自然の法則を知る事を明、すなわち物事に明るいと言う。
こういう自然の法則を知らなければ、やみくもに物事を為して
良くない事態を生じさせる。

自然の法則を知れば、すべてゆったり受け入れ、寛容である。
寛容であれば、すなわち、公平平等である。

聴法録71-2

人は何かの縁によって生まれ、老い、死ぬ、これを自然現象
その物に迄拡大して表現するとすれば、万物は混沌より生じ、
又、混沌へと戻ると言えるでしょう。

これを根源のいのちから生じ、又、根源のいのちへ戻ると言って
もいいでしょう。

こういう自然の法則を知る事が、「真実のいのち」を知る、道理が分かる事、明知に達する事であると、一般にそういう表現が為されています。そして、その道理をしっかり知る為には、自身の想いをすっかり空っぽにして、自身が静かで澄んでいる状態をひたすら守ることです。

そして、自身の想いを静澄に保つ時、いのちの根源を知り、それを知れば、同時に、すべての自然の道理を知る事になるでしょう。

今迄良くわからなかった多くの事が、まるで霧が晴れたように見えてくるのであります。この様な境涯を会得した人を、明知の人、覚者、仏陀と言われる由縁である。

人生、自分が霧の中にいては、進む方向も分からないでしょう。
まして、濃霧の中では、方向も風景も、一寸先の状態すら見えないまま大きな不安に包まれて、自分でも訳の分からない恐れを抱きながら生きる事になるでしょう。
そういう状態でやみくもに動き回っても当然良い結果など期待できる筈もありません。

自らを空っぽにして、天地自然の道と一体になることが出来れば、生きる為に必要なエネルギーも必要最小限で済み、この世の多くの煩いや悩みから解放されます。又、自らの視界が霧も無く晴れていればどちらかへ進めばどうなるか、それも良く見えていて、不安や恐れを抱きながら生きる事も少なくてすむでしょう。

「身を没するまで殆(あやう)からず」と言う事も大いに頷ける事であります。