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              聴  法  録 72

聴法録72-1

背伸びしてつま先だてば、しっかり立つことも出来ない。
大股で歩けば、疲れてしまって歩き続けることも出来ない。
自らこれが正しいなどと吹聴するものは、明智の持ち主とは言えない。


自らを是とするものは、広く世にあらわれることはない。
自惚れが強いものは、他から褒め称えられる事は無い。
慢心の強いものは、それ以上成長する事は無い。


それらの生じる道に在ること、それを余計な事、無駄な行為と言う
物事によっては、これらの行為は、無駄であるばかりでなく、悪しき結果生じる事がある。

従って、無為自然の道に有る人は、このような余計な行為が生じる様な筋道の中にはいない。
聴法録72-2

無為自然の勧めは、自然に生きよ、という勧めに他ならない。
自分を大きく見せかけようとして、背伸びをしたり、人よりも少しでも早く目的地へ到達し様として大股で歩いたりすれば、それは長続きせず、必ずいつかは、息切れがして躓いたり、倒れたりしてしまうであろう。昨今のサラリーマンの心身の過労による自殺などその典型であろう。

それは、会社の所為とか、上司が多く仕事を与える所為などというのは、未だ自己責任を負えない、又、生きる事の厳しさを自覚しない子供の言い分であろう。
何故に、自分にとって無理な仕事を引き受けるのか、遅くまで残業したり、過酷な出張を引き受けているのは、一体誰であり、誰の為であるのか。

それを断れない、これは無理だ、出来ないと言えないのは、何故なのか。そこにあるのは、人との競争に負けたくない、立身出世の道から外れたくない、駄目なやつだと思われたくない、等々、自身の欲望なのではないか。それらが相乗作用となって、休息すら取ろうとしない企業全体の風潮を作り上げていく。

一つの企業のその姿は、資本主義という競争社会である以上、全体の企業の姿となっていく。これらは総て自分で自分の首をしめる行為に他ならない。しかし、社員の総てに競争心が無ければ、企業の存続は覚束なくなる。ならば、何をどうすれば良いのか?

人間が集団を作り、その中で生きる生き物である以上、生きる事、自分の命生かす事は、一つの闘いである。問題は闘いの中身、その闘い方ではないだろうか。無理をしない、背伸びをしない、これは、自分に相応しい努力せよ、という事に他ならない。

戦士たる素質を備えて生まれた人が闘いの中に我が身を投じるのは、その人の本性を生きる事、そこに闘うことの不自然さ、無理はないであろう。しかし、生まれつき争いを好まない様な本性をもって生まれた人が、戦士となるとすれば、それはその人の本性に背く生き方をする事に他ならない。そこには、不自然さが付きまとい、無理が生じ、その人は苦悩と困憊するに充分な人生を生きる事となるであろう。自分の本性に背く生き方をする事、それは作為技巧を弄して生きざるを得ない、つまり、自己の本本性に背き、無理をして生きる事、自然でない生き方をすると言う事である。

無為自然に生きる事、それは、自分の本性に随って生きる事、しかし、それは決して戦わなくとも済む生き方ではない。
他者と闘って生きる、自分と闘って生きる、何れにしろ、生きると言う事は、闘うこと闘うことから逃げる道は、この世にあっては自らを、自分自身を生きてはいけない道、出口の無い行き止まりの道となるであろう。

その様な人は、自らが作り上げた自分でない自分を生きる事になるだろうか、つまり、それは、肉体は現実の中で生きてはいるけれども、本来の自分は、自分が作り上げた妄想の世界に生きている。と言えるかも知れない。或いは、せっかく生まれたこの世であるにもかかわらず、自分を生かす事が出来なくて、自殺の道を選択する事になるかもしれない。

そして、最も残念な事は、この様な争いを好まない人々こそ、繊細な心、やさしい心を持っている人々が多いと言う事である。

しかし、私はそのような人々に言いたい
 <自分に強くあれ!>と。

忘れてはいけない事、それは、
<道は、決して一つでは無い!>のである。

太陽も月も、そして千年を生きる古木も、ただ無為自然のまま、そのいのちを生きているではないか!